「ジャン・ジャック・マチャド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Hideki1976 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Hideki1976 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
'''ジャン・ジャック・マチャド'''('''Jean Jacques Machado'''、[[1968年]][[2月12日]] - )は、[[ブラジリアン柔術]]黎明期の強豪。[[ブラジル]]の[[リオ・デ・ジャネイロ]]出身。身長180cm、体重79kg。マチャド柔術アカデミー主催。'''ジアン・マチャド'''('''Jean Machado''')とも。
 
マチャド兄弟の4男。生まれつき左手の指が何本か無いというハンデを持っている。
 
[[グレイシー一族]]の従兄弟にあたり、る。

== 来歴 ==
カーロス・グレイシー・ジュニア道場で柔術をはじめ、16歳のころには[[ヒクソン・グレイシー]]からプライベートレッスンを受けるようになる。
 
ヒーガン、カルロスら、兄弟の呼びかけにより、アメリカへ移住。カリフォルニア州にマチャド柔術アカデミーを開く。
11 ⟶ 14行目:
まだ世界大会が生まれる前の、事実上の世界大会であったブラジレイロにてメジオ級優勝3回、サンボ パンナム選手権74kg級優勝2回などブラジリアン柔術選手権11連覇を果たした。現在はギを着用しないグラップリングの大会にて今も第一線で活躍中。
 
[[アブダビコンバット]]では、1999年77kg未満級優勝、2000年77kg未満級準優勝、2001年無差別級準優勝。
 
今までに[[桜井速人]]、[[宇野薫]]、[[高阪剛]]らを下し、日本人相手では負け無しであったが、[[2006年]][[5月26日]]、アメリカカリフォルニア州で行われたグラップリング大会LA SUB Xにて、[[弘中邦佳]]に3-0でポイント負け。