「チカソー」の版間の差分

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最初のヨーロッパ人とのチカソーとの接触は1540年で、スペイン人探検家の[[エルナンド・デ・ソト]]が彼らに遭遇し、おそらく現在のミシシッピ州[[トゥペロ]]の近くの彼らの町のひとつに泊まった。さまざまな食い違いの後、チカソーはデ・ソト遠征隊を夜間に襲撃し、遠征隊をほぼ壊滅させてすぐ後にスペイン人は立ち退いた。
 
1670年に[[カロライナ植民地]]が創設された後、チカソーはイギリスと交易を開始した。イギリスから供給された銃で、チカソーは彼らの敵であるチョクトーを襲い、チョクトーを捕まえて奴隷として売った。この習慣は、チョクトーがフランスから銃を入手した時に一度止んだ。18世紀のチカソーは、七年戦争の後にフランスが地域への主張をあきらめるまで、1736年5月26日の[[チカソー戦争|アキアの戦い]]のように、しばしばフランスとチョクトーと戦争をした。
 
部族の大部分は1830年代に[[インディアン準州]](現在のオクラホマ州[[アダ (オクラホマ州)|アダ]]を本部にして)に移住させられた。サウスカロライナ州のチカソーの残党は、[[チャロクロワ・チカソー]]として知られ、連邦承認部族政府を持ち、2005年の夏には州から公式な承認を獲得し、部族の本部をサウスカロライナ州[[インディアンタウン]]に持つ。