「ウラジミール・ジャンケレヴィッチ」の版間の差分

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[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]や[[エマニュエル・レヴィナス|レヴィナス]]とはほぼ同世代に属するが、いわゆる[[フランス現代思想]]の流れからは距離を置いた位置にいたといえる。「道徳」「倫理」「死」「音楽」といったテーマにおいて「語りえぬもの」「何だかよく分からないもの("je-ne-sais-quoi")」をめぐって、哲学の概念のみならず古今の文学や音楽までも幅広く用いつつ、体系にとらわれることなく自在でしなやかな思索を展開しつづける彼のスタイルは極めて独自のものであり、それゆえに「分類できない哲学者」("Philosophe inclassable")とも呼ばれた。
 
[[1982年]]には[[レバノン内戦|イスラエル軍のベイルート侵攻]]に反対するイスラエル大使館への抗議デモに参加し、フランスユダヤ人社会からの非難にさらされた。
 
[[1985年]]、パリの自宅にて死去。