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追記
名称=聖母宮|
所在地=長崎県壱岐市勝本町勝本浦|
祭神=息長足姫尊<br />足仲彦尊<br />誉田別尊|
社格=式内社・壱岐国二宮|
創建=養老元年(717年)|
例祭=[[10月10日]] - [[10月14日]]}}
 
'''聖母宮'''(しょうもぐう)は、[[長崎県]][[壱岐市]]勝本町勝本浦にある[[神社]]である。[[延喜式内社]]の[[名神大社]]中津神社、式内小社手長比売神社の論社だが、現在その社名の別神社が存在する。社伝では過ちありて式内社の資格を失ったとされている
 
[[神功皇后]]と[[仲哀天皇]]と[[応神天皇]]を祭神とする。
 
[[名神大社]]・中津神社、式内小社・手長比賣神社の論社だが、現在その社名の別神社が存在する。
 
==歴史==
[[仲哀天皇]]9年([[200年]])10月、[[神功皇后]]が[[三韓征伐]]の折、壱岐で風待ちをされた時に行宮を建てたのが起源とされる。この時神功皇后は北へ向かうのに良い風が吹いた事から、この地を風本(かざもと)と名付けた。同年12月三韓から凱旋時に勝利を記念して、風本を勝本に改めた。その時に敵の首101500をこの地に埋めたと言う伝承が残る。その後行宮は放置されたが、海より光るものが上がってくる事件が起き、その際に鏡を奉納し神功皇后を祀ったとされる。
 
[[養老]]元年([[717年]])、国家鎮護が祈願されて社殿が建てられる。聖母宮ではこれをもって神社の創建としている。古来より国主の崇敬厚く壱岐七社の一つとして、又壱岐国二の宮とされた
 
『[[本朝神社考]]』では式内・手長比賣神社に比定された。[[延宝]]4年の[[橘三喜]]の査定では、当社と新城北触の中津宮(現在の[[中津神社]])を式内・中津神社に比定したが(手長比賣神社は本宮西触の[[手長比賣神社]]に比定)、中津宮が中津神社に改称され、こちらが式内・中津神社とみなされるようになった。社伝では、「過ちありて式内社の資格を失った」としている。しかし、現在の中津神社を式内・中津神社とすることには否定的な意見が多く、『式内社調査報告』では聖母宮が式内・中津神社であり、現在の中津神社はその分祀であろうと記している。
後に延喜式内社査定の折、過ちがあり式内としての社格を失ったとされる。しかし古来より国主の崇敬厚く壱岐七社の一つとして、又壱岐国二の宮とされた。
 
==概要==
三韓征伐に勝利した事から、勝負の神様として知られる。また、神功皇后は三韓征伐の際に応神天皇を身ごもっており、安産の神様としても知られる。
 
古来より福岡市の[[香椎宮]]との繋がりが深く、香椎宮(香椎大明神)を名乗っていた時期もあり、更に地元が香椎村を名乗っていた時期もあった。しかし当社が香椎宮の分社と言う訳ではない。
 
当社の例祭は5日間にわたって行われ、市内最大の祭りとして知られる。中でも来年が豊作か大漁かを占う選択無形民俗文化財御神幸船は有名である。最終日の10月14日には、[[重要無形民俗文化財]][[壱岐神楽]]の大神楽や氏子の仮装パレードも行われる。
==交通==
*[[壱岐交通]]バス郷ノ浦勝本線仲折バス停
 
==外部リンク==
*[http://www4.ocn.ne.jp/~syomogu/ 聖母宮]
*[http://www.genbu.net/data/iki/syoumo_title.htm 聖母宮(玄松子)]
 
[[Category{{DEFAULTSORT:長崎県の神社|しようもくう]]}}
[[Category:壱岐市|しようもくう長崎県の神社]]
[[Category:名神大社|しようもくう]]
[[Category:式内小社|しようもくう]]
[[Category:壱岐市]]
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