「永六輔」の版間の差分

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*[[久米宏]]が初めてもったレギュラーは[[土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界|永六輔の土曜ワイド]]であり、久米は永のことを「拾ってくれた」「恩人」と言っている<ref>[[久米麗子]]・久米宏『ミステリアスな結婚』にて</ref>。しかしのちに永自身が語ったところによると、久米は永からかなりぞんざいに扱われたため、当時はかなり恨んでいたという。(もちろん現在は恨みはないとのこと)<ref>自著「たかがテレビ、されどテレビ」から。永によると土曜ワイドがスタートした頃レポーターとして参加していた久米は永からぞんざいに扱われた事を恨んでいたが、愚痴ひとつこぼさず黙々とレポートし続けていたと執筆当時[[フジテレビ]]のアナウンサーであった次女[[永麻理|麻理]]への手紙というスタイルで明かしていたのである。</ref>
**上記の件の反省から、[[1991年]]に復帰して以降はぞんざいに扱っても恨まれない性格の著名人に中継レポーターを任せるように気を使っている。現在永は中継レポーターに振付師でタレントの[[ラッキィ池田]]を起用。オープニングからいじっているが、ラッキィは気にせずレポートし続けている。
*[[舞台監督]]としても活躍していた時代があり、現在でも自らのトークショーや地方講演などではプロの[[舞台監督]]を雇わずに自分で進行をしている。ただし業界で唯一信頼を置いて舞台進行を任せる人物に、[[勇村育世]]がおり、最近では永自らが[[構成]]・[[演出]]する舞台にも関わらず彼女を「[[舞台]][[演出家]]」と他の出演者に紹介する程である。「彼女の言う事に僕は逆らった事がない」というのが口癖。 ちなみに永自身、同じ演出家でも蜷川幸雄のアンチでもあり、<ref>蜷川を嫌っている理由は嫉妬に加え、演者に対して出来ないと屈辱的罵倒を浴びせる性質に憤慨したためである。([[蜷川幸雄|蜷川]]の項目も参照。)</ref>彼が発足した「さいたまゴールドシアター」について「ヒマな年寄り達のロミオとジュリエットなんぞ見たくはない」と嘲笑していた。
ちなみに永自身、同じ演出家でも蜷川幸雄のアンチでもあり(早い話が嫉妬)、彼が発足した「さいたまゴールドシアター」について「ヒマな年寄り達のロミオとジュリエットなんぞ見たくはない」と嘲笑していた。
しかし永自身がすでに「過去の人」の存在であるためか、肝心の蜷川に相手にされていないのが現状である。