「新田政氏」の版間の差分

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実際、平秀時の通称は、左近大夫とされ、名前に「時」がつくことから、北条氏の一門と考えられ、官途から[[北条氏 (赤橋流)|赤橋流]]の一族と推測されている。時代背景も考慮すると、彼も何らかの伝(足利氏の仲介か)にすがって政略結婚した可能性は高いが、確証はない。
 
同時に秀時は境時秀とも言われ、通称は式部大夫で[[御家人]]・[[三浦義澄]]の[[外孫]]であると、『[[相模三浦氏|三浦氏]]系図』にその名が記されている。また、祖父は境上総権介常秀、父は上総介秀胤と記され、3人の弟の名が記されている。
 
文永8年(1271年)に64歳で没し、五男の[[新田基氏|基氏]]が跡を継いだ。