「六朝楷書」の版間の差分

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''[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の項も参照のこと''
 
[[316年]]に内乱のため著しく国力低下した[[西晋]]が北方異民族に追われて南に逃げ[[東晋]]となったことにより、実質的に中国は南北に分断されることになった。西晋の故地にあたる北側では「[[五胡十六国]]」と呼ばれる異民族王朝が覇権をめぐって勃興し、南側では東晋が[[前秦]]に猛攻をかけられたり、重臣に内乱を起こされたりと不安定な状態ながらも、失地回復を狙っていた。
 
しかし[[420年]]、南側の東晋は努力虚しく禅譲を迫られ、[[宋 (南朝)|宋]]が成立。さらに[[439年]]に北側で[[北魏]]が並みいる他王朝を征し北の覇者となったことによって南北の決裂は決定的なものとなり、本格的に南北朝時代が始まる。北朝と南朝は表向きは末期の頃を除くと大きな衝突を起こすことはなかったが、片や漢民族の土地を乗っ取った異民族、片やその異民族に追われて都落ちした漢民族という立場関係は反目をもたらすに充分で、両者は冷戦にも似た関係にあった。