「ウプサラ大聖堂」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Amikake3 (会話 | 投稿記録)
m yomi, style
Ikedat76 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
3行目:
'''ウプサラ大聖堂'''(ウプサラだいせいどう、{{lang-sv|Uppsala domkyrka}})は、[[スカンディナヴィア]]諸国で最大級の教会建築で、[[スウェーデン]]・[[ウプサラ]]にある。高さ118.7メートル、幅118.7メートル。
 
== 歴史 ==
大聖堂の建設は、[[ガムラ・ウプサラ]]から[[大司教座]]が移転した後の1287年から始まった。完成までに1世紀以上を要した。大司教オラウス・ラウレンティ時代の1435年に使用され始めたというが、最終的な完成に至っていなかった。当時スウェーデン全国で崇拝されていた聖[[ラウレンティウス]]、スウェーデンの[[守護聖人]]聖[[エリク9世 (スウェーデン王)|エリク]]([[ローマ教皇]]によって[[列聖]]されていない)、[[ノルウェー]]の守護聖人聖[[オーラヴ2世 (ノルウェー王)|オーラヴ]]に献堂された。完成したのは、1435年以後10年間の期間である。
 
大聖堂は、1702年の大火で激しく損傷し、1619年の[[ルネサンス]]風外観に手直しがされた。例えば、高い[[オランダ]]・ルネサンス風尖塔は、建築家{{lang|sv|Carl Hårleman(1700Hårleman}}(1700年-1753年)によって、小さくドームに似た[[バロック様式]]の塔に作り替えられた。2度目の改修は建築家Helgo Zettervall(1831年-1907年)指揮下の1885年から1893年にかけ行われ、彼は大聖堂に[[フランス]]風の[[ゴシック・リヴァイヴァル建築]]要素を与えた。Zettervallは中世の[[煉瓦]]壁の大部分を大幅に改造し、白く洗い晒した目隠し窓をもたらすほっそりとした外観を与えた。
 
最初の中世時代の大聖堂は、バルチック・[[国際ゴシック]]様式で、頑丈な煉瓦の壁が採用されていた。小さなバロック様式の塔群は第三の塔や、交差廊上の小塔群を含め高い(フランスに触発された)尖塔に取って代わられた。内部の天井と壁は[[ネオ・ゴシック様式]]の装飾がなされ、[[マルティン・ルター]]のような描写がいくつか見られるものの、大聖堂の中世の遺産を再構築しようとはされなかった。Zettervallによって加えられた外側構造の[[セメント]]部分は、数十年後に取り払われた。
 
中世に、教会を除く全てのウプサラの家々は、木造か煉瓦でできた平屋か二階建てからなっていた。大聖堂は今日よりも一層巨大に見えていただろうと思われる。興味深いことに、[[宗教改革]]までは、教会はウプサラ周辺の住民の信仰の中心地というわけではなかった。教会は、教会法によって公的サービスのため取っておかれたのである。ウプサラの主要教会で教区教会は、聖ペテロ教会、聖母教会、そして[[フランチェスコ会]]派[[修道院]]と、"Bondekyrkan"(農民教会、の意味)であった。農民教会以外の3つの教会は、ウプサラの商業区{{lang|sv|Fyrisån}}の東側に存在したが、宗教改革の間に相次いで壊された。
 
大聖堂は、多くのスウェーデン王・王妃の戴冠式が行われた場所である。主に、中世から17世紀後半まで、戴冠式が執り行われた。その後1872年より、[[ストックホルム大聖堂]]が公式の戴冠式の場所となった([[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]が戴冠した1872年までの間、スウェーデン王は戴冠式を行わない空白の時期だった)。
16行目:
スウェーデン王、また著名な人物が大聖堂内に埋葬されている。
* [[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ・ヴァーサ]] - 16世紀のスウェーデン王。3人の妃と共に埋葬されている。
* [[ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世]] - 王妃[[カタージナ・ヤギェウォンカ|カタージナ]]と共に埋葬されている。
* [[カール・フォン・リンネ]] - 18世紀の植物学者
* Olof Rudbeck - 17世紀の科学者。[[ウプサラ大学]]の薬学教授
22行目:
* [[ナータン・セーデルブロム]] - 聖職者。ウプサラ大司教。1930年に[[ノーベル平和賞]]受賞
* [[エリク9世 (スウェーデン王)|聖エリク]] - 12世紀のスウェーデン王。スウェーデンの守護聖人
* [[ラウレンティウス・ペトリ]] - スウェーデン史上初の、[[ルーテル教会]]派大司教。
 
== ダグ・ハマーショルド記念碑 ==
大聖堂内には、任期中に事故死した元[[国連事務総長]][[ダグ・ハマーショルド]]の小さな記念碑がある。そこにはスウェーデン語で以下の文が刻まれている。
 
{{lang|sv|
Icke jag<br/>
utan gud i mig<br/>
Dag Hammarskjöld 1905 - 1961
}}
 
英訳:"Not I, but God in me."
 
 
{{Commons|Uppsala domkyrka|ウプサラ大聖堂}}
42 ⟶ 43行目:
[[Category:スウェーデンの文化]]
 
[[de:Dom zu UppsalaDom_zu_Uppsala]]
[[en:Uppsala CathedralUppsala_Cathedral]]
[[es:Catedral de UppsalaCatedral_de_Uppsala]]
[[fr:Cathédrale dCathédrale_d'Uppsala]]
[[it:Cattedrale di UppsalaCattedrale_di_Uppsala]]
[[he:קתדרלת אופסלהקתדרלת_אופסלה]]
[[nl:Kathedraal van UppsalaKathedraal_van_Uppsala]]
[[no:Uppsala domkirkeUppsala_domkirke]]
[[nn:Uppsala domkyrkjeUppsala_domkyrkje]]
[[fi:Uppsalan tuomiokirkkoUppsalan_tuomiokirkko]]
[[sv:Uppsala domkyrkaUppsala_domkyrka]]