「アンドレ・メサジェ」の版間の差分

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[[1883年]]にフィルマン・ベルニカのコミック・オペラ《青靴下のフランソワ ''François des bas bleus'' 》を完成させ、[[1885年]]には自作の[[オペレッタ]]《神殿のツグミ ''La Fauvette du temple'' 》と《ベアルンの女 ''La Béarnaise'' 》を創作。後者は[[1886年]]に[[ロンドン]]で上演された。また同年、[[バレエ音楽]]《二羽の鳩 ''Les Deux pigeons'' 》がパリ・オペラ座で上演された。
 
しかしながらメサジェの名声を確立したのは、コミック・オペラ《 ''La Basoche'' 》の[[オペラコミック座]]における[[1890年]]の上演である(英語版は[[1891年]]ロンドン上演)。メサジェの名声は、口ずさみやすく品の良いライト・オペラ《お菊さん ''Madame Chrysanthème'' 》([[1893年]])や《ミレルト ''Mirelte'' 》([[1894年]])、《 ''Les p'tites Michu'' 》([[1897年]])、《ヴェロニク ''Véronique'' 》([[1898年]])によって上向いていった。中でも《ヴェロニク》はイギリスで大当たりを取っている。
 
指揮者としては、数年間パリの[[オペラコミック座]]で活動したほか、[[1901年]]にはロンドンでも活動しており、その後は[[ロイヤル・オペラ・ハウス|コヴェント・ガーデン]]でも指揮者のひとりに名を連ねた。
 
[[ガブリエル・フォーレ]]と《小ミサ曲》を共作している。