「島津綱貴」の版間の差分

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慶安3年(1650年)10月、第2代藩主・光久の嫡孫として生まれた。[[延宝]]元年([[1673年]])、父の綱久が42歳で早世したため、祖父の光久から後継者に指名された。[[貞享]]4年([[1687年]])7月、光久が隠居したため、家督を継いだ。家督継承後、薩摩藩は大洪水や大火などの災禍が相次ぎ、治世は多難を極めた。そのうえ、幕命による[[寛永寺]]本堂造営の普請手伝い、金銀採掘の手伝いなどを命じられ、薩摩藩の財政は逼迫した。
 
このように藩政は緊張をはらんだ物であったが、諸大名の辛辣な既述で知られる史料『[[土芥寇讎記]]』では数少ない「領民や藩士から慕われる殿様」として紹介されている。
 
宝永元年(1704年)9月、江戸・芝の藩邸にて55歳で死去。法名は大玄院殿昌道元新大居士。死後、家督は長男の[[島津吉貴]]が継いだ。維新後の神名は厳速活光彦命。
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