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'''大久保 忠増'''(おおくぼ ただます、[[明暦]]2年([[1656年]]) - [[正徳 (日本)|正徳]]3年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]([[1713年]][[9月14日]]))は、[[江戸時代]]の[[大名]]、[[老中]]。[[相模国]][[小田原藩]]第2代藩主。小田原藩大久保家4代。
 
初代藩主[[大久保忠朝]]の長男。正室は奥平[[松平忠弘]]の娘(寿昌院慈岳元長尼)。子に[[大久保忠方]](六男)、[[石川総陽]](七男)、[[大久保宇津教保]](八男)、[[宇津教逵]](十男)、岩姫(久松[[松平定逵]]正室)ら。[[寺社奉行]]、[[若年寄]]をへて、老中となる。
 
==宝永噴火と藩政==