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第一次大戦後ロンドン-パリ間の民間航空会社ハンドレページ・トランスポートのための飛行機を製作した。ハンドレページ・トランスポートが他の航空会社と合併してインペリアル航空ができると、複葉の旅客機ハンニバルなどを生産した。[[迎え角]]が大きい時に有効な「ハンドレページスラット」を開発し、その特許料が1920年代前半の収入源になった。
 
[[第二次世界大戦]]開戦が近づいた時ハンドレページ社は再び、爆撃機の開発を再開し、[[ハンドレページ ハリファックス|ハリファックス]]爆撃機を生産した。[[アブロ ランカスター]]爆撃機とともにイギリスの戦略爆撃機として活躍した。
 
第二次大戦後は、イギリスの核爆撃機のトリオのうち、三日月翼のビクター爆撃機を生産した。ビクターは後に空中給油機に改装され、長く用いられた。