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== 来歴・人物 ==
[[東京]]生まれ。[[東京都立日比谷高等学校|東京府立一中]]などを経て、[[東京帝国大学]]独文科在学当時より[[シナリオ]]や独映画の評論を書いている。後の[[東宝]]社長である[[森岩雄]]は、この早熟の青年を気に入り[[日活]]の企画会議「金曜会」の助手として傍においていた。
 
1927年に大学を卒業すると洋画の輸入会社に勤めるが、そこで独の大手製作会社[[ウーファ]]の代理人であった[[川喜多長政]]と邂逅する。戦後、映画文化最大の保護者となる川喜多一家との交流は著作「映画が若かったとき」に詳しい。