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'''フェアリー バトル'''(Fairey Battle)は、[[第二次世界大戦]]初期の[[イギリス空軍]]で使用された[[フェアリー (航空機メーカー)|フェアリー]]社製の[[爆撃機]]である。[[1936年]]に初飛行した低翼単葉機でイギリス空軍初の近代的な爆撃機だった。第二次世界大戦開戦時にはすでに旧式化しており損害も多かったため、1940年後半からは次第に前線を退き、その後は練習機や標的曳航機として使用された。なお開戦直後のドイツ機撃墜第1号は、本機によるものである。
== 概要 ==
[[1933年]]4月に出された仕様に基づいて開発された本機は、1936年3月に初飛行した。イギリス空軍における最初の低翼単葉引き込み脚の軽爆撃機で、イギリス空軍近代化の一翼を担った機体であった。分厚い主翼の内翼部分(主脚の収容部の内側)に爆弾倉が設けられており、ここに113kg爆弾を4発搭載した。この他、主翼右と機体後部席に機関銃を1丁づつ装備していた。[[1937年]]より部隊配備が行われ、フェアリー社の他オースチン・モータース社でも生産が行われた結果、第二次世界大戦開戦時には1000機を超える機体が前線に投入された。
 
開戦当初は主にフランスにおける武装昼間偵察の任務に使用され、それなりの成果をあげた。西部戦線でのドイツ機撃墜第1号は、1939年9月に本機の後部機銃によるものだった。しかし、性能的にはすでに旧式化しており、ドイツ戦闘機の餌食にされる機体が続出したため[[1939年]]9月いっぱいで偵察機としての使用は中止された。一方で他に適当な単発爆撃機を持たないイギリス空軍では、損害覚悟で本機を爆撃機として使用した。[[1940年]]5月に行われた著名なセダンの仮橋爆破、マーストリヒト橋爆撃作戦では参加した部隊が戦略上多大な効果をあげたが、部隊の半数以上が未帰還機となり残った機体もかなりの損傷を受ける結果となった。この後、本機の部隊はイギリス本土に引き上げられ、沿岸攻撃などに使用された後練習機として利用された。また、標的曳航機に転用された機体も多く、これらの任務では終戦時まで活躍した。
 
この後、本機の部隊はイギリス本土に引き上げられ、沿岸攻撃などに使用された後練習機として利用された。また、標的曳航機に転用された機体も多く、これらの任務では終戦時まで活躍した。
 
==スペック==
2,658

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