「長義和」の版間の差分

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*長が辞退した競輪学校第41期には、後に中野、[[滝澤正光]]と並び競輪界の三強を形成することになる[[井上茂徳]]がいた。
 
*年齢制限にひっかかるからといって、日本アマチュア界の第一人者をどうして競輪界は受け入れてやらないのかという声も一部にはあったが、当時の競輪界は規則一点張りで半ば聞く耳を持たずの状態で、長の一件があった以降も競輪学校の受験資格条件は変えられることがなかった。ところが、五輪メダリストの[[清水宏保]]が後に長野オリンピック後に競輪界入りを希望しながらも年齢制限にひっかかり(当時24歳)、受験さえできなかったことが分かってマスコミで大々的に問題視されると、漸く競輪界は受験資格の一部変更に踏み切り、また93期以降より、競輪学校の受験資格に年齢の上限制限はなくなった。
 
*長は現役引退後、島野工業の一社員として当時の社長であった[[島野尚三]]の命を受け、ブレーキ部分にシフトレバーを組み込む(デュアルコントロールレバー)開発に携わるなどして、「世界のシマノ」ブランドの形成の一翼を担った。
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