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{{クラシック音楽}}[[Image:Victor herbert.jpg|right|200px|Victor Herbert]]
'''ヴィクター・ハーバート'''('''Victor August Herbert''', [[1859年]][[2月1日]] – [[1924年]][[5月26日]])は、[[アメリカ合衆国]]に[[帰化]]した[[アイルランド人]][[作曲家]]・[[指揮者]]・[[チェリスト]]。芸術音楽のほかに、ライト・オペラと呼ばれた草創期の[[ミュージカル]]の作曲で人気があった。[[米国音楽著作権協会]]
== 生涯と作品 ==
[[ダブリン]]出身。3歳のときに父親が他界すると、[[
[[1892年]]に、偉大な軍楽隊長[[パトリック・ギルモア]]の後を受けて、[[州兵|ニューヨーク州兵]]第22師団[[軍楽隊]]の指揮者となり、音楽活動に新たな側面が付け加わった。[[1898年]]から[[1902年]]まで[[ピッツバーグ交響楽団]]の音楽監督として、これをアメリカの主要な[[オーケストラ]]へと育て上げ、[[ニューヨーク]]や[[シカゴ]]への演奏旅行も実現させた。[[1907年]]には自前のオーケストラを設立し、長年にわたって夏の観光地で[[管弦楽]]の小品を上演した。
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作曲家としては2つの[[オペラ]]、43の[[オペレッタ]]、10の[[劇付随音楽]]、31の管弦楽曲([[交響詩]]のほか[[行進曲]]のような機会音楽も含む)、9つの[[吹奏楽]]曲、9つのチェロ曲(2つの[[チェロ協奏曲]]ふくむ)、5つの[[ヴァイオリン]]曲(ピアノ伴奏および管弦楽伴奏)、22の[[ピアノ]]曲、1つの[[カンタータ]]、54の[[歌曲]]、12の[[合唱曲]]があり、他者の作品のオーケストラ用[[編曲]]も残した。
[[1894年]]にハーバートは最初の[[オペレッタ]]《アナニヤ王子(嘘つき王子)》を作曲し、間もなく《セレナード》と《占い師》も完成させた。[[1903年]]には、《おもちゃの国の赤ん坊たち》《赤い水車》《マドモワザエル・モディスト》《お転婆マリエッタ》に相次いで着手、その他の作品の成功によって、アメリカ音楽における重鎮となった
ハーバートの最も有名なオペレッタないしはミュージカルに、以下のものがある。
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1917年に作曲・上演された《アイリーン》は、アイルランド風のグランド・オペラを完成させようとの長年の懸案を実現したものである。最後のオペレッタは、没年の1924年に完成されている。ハーバートのオペレッタやミュージカルは、[[ラグタイム]]や[[ディキシーランド・ジャズ|ディクシーランド]]に多少影響されてはいるものの、[[ジャズ・エイジ]]における[[ブロードウェイ]]の後輩作家、[[ジョージ・ガーシュウィン]]や[[コール・ポーター]]、[[ヴィンセント・ユーマンス]]ほど徹底して[[ジャズ]]や[[ブルース]]に影響されたわけではなかった。
ハーバートの《チェロ協奏曲第2番 ホ短調》作品30([1894年])は、生前に過小評価された作品として、近年になって再評価の機運が高まっている。この作品が[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]の《[[チェロ協奏曲_(ドヴォルザーク)|チェロ協奏曲ロ短調]]》に霊感を与えたことも知られるようになってきた。この他にも、《アイルランド[[狂詩曲]]》([[1893年]])、《ロマンティックな[[組曲]]》作品31([[1900年]])、マクダウェル流の管弦楽組曲《森の国の幻想》([[1902年]])および《[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]》([[1903年]])、連作[[交響詩]]《ヘーローとレアンドル》作品33(1900年ごろ)などの重要な管弦楽曲がある。これらの作品は、ハーバートが[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]や[[アレクサンドル・ボロディン|ボロディン]]、[[カール・ゴルトマルク|ゴルトマルク]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]らと並ぶ[[管弦楽法]]の大家であったことを物語っている。
===ASCAP===
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*[http://www.halhkmusic.com/victorian.html Edwardian light opera site]
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[[Category:オペ
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[[Category:1859年生]]
▲[[Category:ミュージカルの作曲家|はあはあと ういくたあ]]
[[Category:1924年没]]
[[en:Victor Herbert]]
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