「トルテカ帝国」の版間の差分

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「'''トルテカ帝国'''」は、[[メソアメリカ]]([[メキシコ]])に、[[テオティワカン]]崩壊後、[[チチメカ]]侵入前までに存在したと考えられてきた伝承上の帝国。トルテカ帝国の存立したとされる時期は、年代で言えば7世紀頃~12世紀頃に当たるが、12世紀とされるチチメカ侵入を11世紀に置く研究者もいる。[[テスカトリポカ]]と[[トピルツン・ケッアツァルコアトル]]の伝説などで知られるこの帝国は、メキシコ中央高原を支配したとされた。
 
トルテカにまつわる伝承の多くにあらわれる「トゥラン」あるいは「[[トゥーラ]]」が、これらの語が「都市」を表す普通名詞でもあるにもかかわらず、具体的なトゥーラ遺跡のひとつである[[トゥーラ=ヒココティトラン]]([[イダルゴ州]]トゥーラ。以下、便宜上単に「トゥーラ」と記す)を指すと考え、その実在を主張する説は、研究者の間でも長くあとをたたなかった。
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しかしながら、トルテカ帝国説の根拠として提示されたものの多くはきわめて不完全であって、トゥーラ=ヒココティトラン(イダルゴ州トゥーラ)を帝国の都と想定するためには、この都市がテオティワカン崩壊後に[[メソアメリカ]]でどれだけの力を持っていたのか検証する必要がある。
 
例えば、トルテカ帝国が実在した根拠として、「トゥーラ」の北方450kmに位置するサカテカス州の[[ラケマーダ]] (La Quemada) が、米国南西部で得られる[[トルコ石]]の交易路を守るためのトルテカ帝国の要塞と想定されていたが、近年のベン・ネルソンの調査によって、[[古典期]]後期にあたる650年~750年の遺跡であることが判明し、「トゥーラ」の全盛期である、トゥラン (Tollan) 期の950年頃~1150年頃と大幅にずれることが明らかになった。また、[[鉛釉土器]]の装飾に[[トラロック神]]など「トゥーラ」の宗教シンボルとの類似が見られることから、グアテマラ太平洋岸が「トゥーラ」によって征服され、これらの土器がもたらされたという説もあったが、単に生産地の[[ソコヌスコ]]地方の土器製作者が自発的に市場の好みに合わせて生産したものが[[メソアメリカ]]各地に流通しているという考え方が現在では自然に受け入れられている。
 
== 関連項目 ==