「練習曲作品10-3 (ショパン)」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[1831年]]にワルシャワ蜂起失敗の報を聞いたショパンはポーランドへ帰国することができなくなる。だが彼にはワルシャワ蜂起に参加していない完璧なアリバイがある。しかしそれでも帰国しようとしなかった。ポーランドに対する愛国心があるが故に蜂起に参加していなかった自分に負い目を感じていたのかもしれない。
 
この練習曲は、彼の祖国ポーランドとの永遠の別れを描いたともいわれている。
 
== 技術 ==
この練習曲は速度において大部分がショパンのそれと異なる。以前、ショパンの練習曲で必要とされた技術的な妙技からの大きな変化であり、技巧よりもむしろ、施律的なフレージングの表現力とレガートの雰囲気を引き出す事が重要である。彼が生まれたポーランドへの愛が高い質で顕現されており、評論家にはピアノのための詩、ロマン派作品として高く評価されている。彼の弟子の一人、アドルフ・ガッグートマンとのレッスンでこの曲を教えていたとき、ショパンは「ああ、私の故国よ!」と泣き叫んだという。[http://wm10.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=42:355431] ショパンはまた、「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないでしょう」といった。
 
== 関連項目 ==