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原義においては、[[古代]][[中国]]において、[[天子]]である[[周]]王朝などの[[王]]から封土を与えられて、封土の内側([[国家]])において天子にかわって「君」として振る舞うことが許された、あるいは許されたと観念されていた諸[[都市国家]]や都市国家連合の世襲的な首長のことであった。[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に整理された周の理想的制度においては、諸侯は[[公爵|公]]・[[侯爵|侯]]・[[伯爵|伯]]・[[子爵|子]]・[[男爵|男]]の五等の[[爵位]]を与えられていたと考えられ、[[前漢]]以後は[[郡国制]]において王・公などの爵位と「藩国」と呼ばれる封土を与えられた者を諸侯と呼んだ。
 
日本では、[[江戸時代]]に[[征夷大将軍|将軍]]によって与えられた所領を一円支配した'''[[大名]]'''を古代中国になぞらえて諸侯(大名諸侯)と呼び、その所領を[[藩]]と呼んだ。
 
==西洋史用語としての「諸侯」==