「村国男依」の版間の差分

村国連嶋主のリンク
(村国連男依の子孫について付記)
(村国連嶋主のリンク)
[[霊亀]]2年([[716年]])3月8日に、村国連小依の功績によって息子の志我麻呂が田を与えられた。
 
[[村国連志我麻呂]]をはじめとする男依の子孫は、おそらく男依の殊功によって中央下級官人貴族としての道を歩むこととなった。男依の孫に当たる[[村国島主| 村国連嶋主]]や、[[村国連虫麻呂]]・[[村国連子老]](いずれも男依との関係は不明)らが、続日本紀などに官人として記載されている。しかし彼らは[[藤原仲麻呂]]([[恵美押勝]])の与党として[[天平宝字]]8年([[764年]])の[[藤原仲麻呂の乱]]で殺されたり(嶋主)、官位を剥奪された。その後いずれも無実であったとして本位に復されたが、以後没落したと考えられる。
 
[[Category:壬申の乱|むらくにのおより]]