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'''ローマ建国紀元'''(
[[西暦]][[2000年]]は、ローマ建国紀元2753年となる。
== 概要 ==
元年は、[[紀元前1世紀]]のローマ人[[マルクス・テレンティウス・ウァッロ|ウァッロ]]
伝説とウァッロの推定によれば、紀元前753年[[4月21日]]、都市国家ローマの初代ロムルス王が即位した。これを基準とするものだが、後の計算により
ローマ建国紀元は、ローマ建国直後から使われていたものではなく、ローマが共和
== 実際のローマ建国年 ==
具体的なローマ建国の年は、[[ウェッレイウス・パテルクルス
さらに別の研究によれば、[[レア・シルウィア|シルウィア王女]]がローマの初代王ロムルスとその弟[[レムス]]の双子を身篭った日は、[[エジプト暦]]で紀元前763年Choiac月23日(6月15日に相当)の日食の日であった。このとき、ローマ地方では午前6時49分に欠け始め、7時47分に最大となり、8時51分に終了しているはずである。食の最大は62.5%であった。エジプト暦でThothの月22日にロムルスとレムスは生まれた。Thothの月は、現代の暦に直すと3月2日に始まっており、双子は現代風には紀元前762年3月22日(換算)生まれとなる。ロムルスは前述のとおり4月21日に即位し、それから2か月が経たないうちに、ローマで日食が観測された。ロムルスは54年を生き、紀元前709年7月17日(換算)、非常に大きな日食の起きた日にローマから消えた。この日の日食は、午前5時04分に始まり、6時57分に終わった。食の最大は93.7%であった。このときの日付は、ロムルス本人が制定した[[ローマ暦]](ロムルス暦)ではQuintilis(7月)の7日であった(これらの日付と時刻は、ブダペストプラネタリウムのAurel Ponori-Thewrewk教授の計算による)。
これらの計算は、ロムルスが18歳でローマを建国したという伝承などにかみ合い、ローマ建国年は紀元前745年となる。[[プルタルコス]]が、ロムルスの統治は、37年間に渡って続き、7月5日に終わったと述べていることなどにもほぼ一致する。これらはほぼすべて、[[フロルス]]、[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]、[[ディオ・カッシウス]]、[[ハリカルナッソスのディオニュシオス]]らの記述にほぼ一致する。また、前述の3つの日食の正確な計算から、紀元前746年から紀元前709年までの間、ローマはロムルス王によって統治されていたことも明らかである。
== 関連項目 ==
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