「細田守」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
3行目:
== 作風 ==
 
緻密に練られた物語の構成が高く評価されている。また、同じカットを繰り返す「同ポジション」や、実写のカメラワークを意識した絵コンテを上げながらもあえてキャラクターから影をなくす(細田曰く「余計な影があると色の違いがわからなくなる」)など、実写とアニメの境目を突いた独自の演出手法を持つ。また、作中には飛行機雲・交通標識・少女・老婆・二股道路が頻出する
 
また、独特の観察観を持ち、スタッフ・キャストの元々持っていると思われる要素を十分に引き出す配置を行う為、一見旗からみるとミスマッチでもスタッフからは評判がいい。<ref>例として[[ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島]]では、従来のテイストを好むファンから批判が続出したが、原作者は[[週刊少年ジャンプ]]の巻末コメントで「とにかく絵がうまい」と絶賛した。</ref>
 
作中には飛行機雲・交通標識・少女・老婆・二股道路が頻出する。
 
== 略歴 ==
10 ⟶ 14行目:
大学卒業後、[[スタジオジブリ]]の研修生採用試験を受けるも不合格となる。そこで『少年ケニヤ』で声をかけてもらった[[田宮武]]プロデューサーの紹介で、東映動画(後の[[東映アニメーション]])に入社。演出を志望していたが、当初は[[アニメーター]]としてアニメ制作に携わる。東映新人時代アニメのイロハをベテランアニメーター[[角田紘一]]に教わった。東映動画の[[山下高明]]が師匠的な存在だった。やがて社内の演出採用試験に合格し、[[1997年]]の『[[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)|ゲゲゲの鬼太郎]]』(第4期)で演出家としてデビュー。
 
その後『[[ひみつのアッコちゃん]]』(第3期)の演出に関わったのち、[[1999年]]には『[[デジモンアドベンチャー#劇場版『デジモンアドベンチャー』|劇場版デジモンアドベンチャー]]』の監督に抜擢される。続けてテレビシリーズ『[[デジモンアドベンチャー]]』の第21話を演出。[[2000年]]には『[[デジモンアドベンチャー#『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』|劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!]]』を監督して、そのクオリティの高さから業界の内外より注目を集める。この頃、演出家として影響を受けた人物として、[[山内重保]]、[[幾原邦彦]]、[[原恵一]]らの名を挙げている。
 
同年、次代を担う若手監督を探していた[[宮崎駿]]により『[[ハウルの動く城]]』の監督に選ばれて、[[スタジオジブリ]]に出向。[[2002年]]頃まで制作に関わっていたものと思われる。しかし細田版『ハウルの動く城』は制作途中で諸事情により製作中止となった。細田によれば、当初『[[千と千尋の神隠し]]』の制作に追われていたジブリから人員の応援は得られず、監督の細田本人が各スタジオを廻り制作スタッフを集めるも制作中止となり、集めたスタッフの人望の喪失、人員確保の間のスタッフへの給与の未払い、集まったスタッフのその後の仕事の未決定の問題が発生し、細田にとって「これでアニメ業界で生きていくのは終わった」と思わせた一大事件であった。
41 ⟶ 45行目:
*細田演出の持ち味として最初に挙がるであろう「影なし作画」は山下の提案。劇場版デジモン制作時、「デッサン補足のための影はいらない」と最後まで押し切り、最初は反対した細田も観念したという。しかし『時をかける少女』では山下が原画のみの参加であるにも関わらず影なしであったことから、いかに細田が山下の影響を受けていたかを伺える。
*[[押井守]]は細田に才能を見出し「ガルム戦記」の制作にスカウトするも、諸事情により凍結した。しかし、それが縁となり押井、同映画のスタッフだった樋口と親交を持つに至る。2006年に樋口、[[秋山貴彦]]と共に四つ巴の状態で対談している。<ref>[http://plaza.bunka.go.jp/museum/archives/comadori/sp01_1.php アニメや特撮においてCGがこれからもたらすもの]</ref>その後、押井の娘と[[乙一]]の結婚披露宴で流れた2人の映像制作を担当した。
*樋口と細田と樋口は業界内では「似たもの同士」と認識されており、外見(メガネにヒゲ)、作品のテーマ、ジャンル、キーワード、果ては公開日まで一緒になっていたという。<ref>[[日経エンタテインメント!]]2007年1月号より、『日本沈没』と『時をかける少女』は公開日が同じ7月15日である。</ref>実際二人の仲は非常に良く、よく飲み明かすほどであるという。
*上記の様な人柄・作風から、乙一・村上隆・[[鶴巻和哉]]等を筆頭に業界内でも「ファンである」・「影響を受けた」と明言する者が多い。
 
== 参加作品 ==