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幼いころは聡明で、政務の裁決を任されても基本を外さず、太宗の行幸のおりには監国をつとめた。しかし成長すると、遊興を好んで素行は乱れた。太宗は[[孔穎達]]・[[令狐徳フン|令狐徳棻]]・[[于志寧]]・張玄素・趙弘智・王仁表・崔知機らを選んで承乾を教導させたが、承乾は改悛しようとしなかった。承乾は病のため足が悪く、素行も悪かったので、廃位されるのを恐れて、弟の魏王[[李泰]]を敵視した。
 
承乾は封師進・張師政・紇干承基らに命じて魏王李泰の謀殺をはかり、失敗した。そこで漢王[[李元昌]][[侯君集]]・李安儼・趙節・杜荷らとともに兵をもって西宮に入ろうとした。しかし紇干承基が斉王[[李祐]]の乱に連座して逮捕されると、計画は漏れた。[[643年]]、承乾は廃位されて庶民に落とされ、黔州に流された。[[645年]]、亡くなった。国公の礼で葬られた。諡を愍といった。
 
子に李象・李厥がいた。李象は懐州別駕となり、李厥は鄂州別駕となった。
 
 
== 伝記資料 ==