「スカパ・フロー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目:
[[Image:Map of Scapa Flow.png|right|Scapa Flow]]
 
'''スカパ・フロー'''('''Scapa Flow''')は[[スコットランド]]の[[オークニー諸島]]に存在する入り江。 メインランド島、ホイ島、バレイ島、. サウス・ロンルドシー島などに囲まれ、細い水路で外海とつながっている。外部からの侵入を防ぐことのできる天然の良港として[[第一次世界大戦]]から[[第二次世界大戦]]にかけ[[イギリス海軍]]の[[根拠地]]として利用された。
 
両大戦では停泊するイギリス艦船を狙い[[ドイツ]]の[[Uボート]]が侵入を図っている。第一次世界大戦ではU-18とU-116が侵入に失敗し撃沈された。第二次世界大戦の開戦後間もない1939年10月14日に[[ギュンター・プリーン]]([[:en:Günther Prien|Günther Prien]])の指揮するU-47([[:en:Unterseeboot 47 (1938)|Unterseeboot 47]])
が浮上侵入、[[戦艦]][[ロイヤル・オーク (戦艦)|ロイヤル・オーク]]を撃沈した。因縁のスカパ・フローに敵戦艦を沈め、ドイツ国民は歓喜した。ロイヤル・オークの乗組員1,400名あまりの内、833人が死亡している。沈船は現在記念碑として保存されている。事件の後、[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]の命により建設された防波堤は、"Churchill barriers"と名付けられ、現在[[メインランド島]]、バレイ島とサウス・ロンドシー島を結ぶ陸橋として利用されている。
 
この攻撃の3日後、4機の[[Ju 88 (航空機)|Ju 88]][[爆撃機]]がスカパ・フローを爆撃した。この攻撃によって戦艦[[アイアン・デューク (戦艦)|アイアン・デューク]]が大破、爆撃機1機が撃墜されている。
47 ⟶ 48行目:
*ギュンター・プリーン(著)、スカパ・フロー侵入に成功した U47 の艦長の回想録、『スカパ・フローへの道』、中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003174-8
 
== 関連項目 ==
*[[Uボート]]
 
[[Category:イギリス海軍|すかはふろう]]