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遺愛は右衛将軍・散騎常侍などをつとめた。[[高宗 (唐)|高宗]]のとき、房遺直は[[開封|汴州]][[刺史]]となり、遺愛は房州刺史に任ぜられた。
 
[[652年]]、遺愛は薛万徹・柴令武・[[比景公主|巴陵公主]]らと結んで荊王[[李元景]]の擁立をひそかに計画していた。しかし高陽公主が房遺直を誣告し、房遺直が遺愛と公主の罪を告発するという兄弟争いの中、[[長孫無忌]]房遺直の発言を取り上げられ、さらには謀反の証拠をつかまれることに成功しなった。遺愛らは逮捕され、長孫無忌の思惑を汲んで、呉王[[李恪 (呉王)|李恪]]も謀反に加担していたと偽りの自白をした。翌年2月に遺愛・薛万徹・柴令武は斬られ、李元景・李恪・高陽公主・巴陵公主は自殺を強いられた。
 
== 伝記資料 ==