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{{Otheruses|平安時代の古典|[[山本周五郎]]の小説|栄花物語 ([[山本周五郎]])}}
{{文学}}
『'''栄花物語'''』(えいがものがたり)は、[[平安時代]]の古典。仮名文。女性の手になる編年体物語風史書。
 
== 概要 ==
作者不詳の[[歴史物語]]。[[六国史]]の後継たるべく[[宇多天皇]]の治世から起筆し、[[摂関政治|摂関]]権力の弱体化した[[堀河天皇|堀河朝]]の[[寛治]]6年2月(1092年)まで、15代約200年間の時代を扱う。[[藤原道長]]の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれる。
 
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同時代を語る紀伝体歴史物語の『[[大鏡]]』が男性官人の観点を貫くのに対し、編年体の体裁をとる『栄花物語』は女性の手になるため、構造や行文には『[[源氏物語]]』などの女流文学の投影が色濃く見える。各巻に雅な名を冠すのも、[[藤原北家]]摂関流、中でも特に道長・[[藤原頼通|頼通]]父子の栄華を謳歌する調べも、みなその現れである。道長についての記述に賞賛が多く見られることが特徴として挙げられるが、彼の晩年を襲った病苦や、摂関政治の裏面を生きる敗者の悲哀をも詳らかに描き出している。
 
== 評価と影響 ==
『栄花物語』は『大鏡』とは対照的に批判精神に乏しく、物語性を重要視するあまり、史実との齟齬を多く有する。また、政事(まつりごと)よりも藤原北家の後宮制覇に重心を置くため、後編の記述は事実の羅列というしかない。歴史書としても、文学作品としても、『大鏡』に引けをとる所以である。しかし[[相模女子大学]]の待井新一教授によれば、「評価すべきは、女手(おんなて)といわれる仮名で物語風に歴史を書いている事で、女性にも読んでもらう史書を目指し''女性による女性のための歴史物語''を完成させた点、はじめて歴史と文学とを結合させ歴史を身近なものにした点では画期的な事」、として挙げられる。後の「鏡物」といわれる一連の歴史物語を産む下地となった。
==原典==
 
== 原典 ==
本文の形態によって古本系統・流布本系統・異本系統という3つの系統に分けられる。
 
主な伝本としては、梅沢本([[三条西家]]旧蔵、古本系第一類、[[国宝]])、[[陽明文庫]]本(古本系第二類)、[[西本願寺]]本(流布本系第一類、[[重要文化財]])、古活字本([[元和 (日本)|元和]]・[[寛永]]年間の版本)・[[明暦]]刊本(以上、流布本系第二類)、絵入九巻抄出本(流布本系第三類)、富岡家旧蔵本(甲・乙二種類あり、異本系、甲本は[[重要文化財]]、甲乙とも巻三十まで)などがある。
 
このうち[[三条西実隆]]が入手して子孫に伝えた梅沢本(40巻17帖)は、[[鎌倉時代]]中期までに書写された現存最古の完本として[[昭和]]10年(1935([[1935]])に旧[[国宝]]、[[昭和]]30年(1955([[1955]])には新[[国宝]]に指定された。大型本(10(10帖、巻二十まで、[[鎌倉時代]]中期の書写)と枡形本(7(7帖、巻四十まで、[[鎌倉時代]]初期の書写)の取り合わせ本(取り合わせとなった経緯は不明)で、大型本の書名は『榮花物語』、枡形本では『世継物語』となっている。なお[[三条西実隆]]入手の経緯は、『[[実隆公記]]』永正6年11月4日、8日の条に詳しい。「[[岩波文庫]]」「日本古典文学大系」「新編日本古典文学全集」は、この梅沢本を底本としている。
なお[[三条西実隆]]入手の経緯は、[[実隆公記]] 、[[永正]]6年11月4日、8日の条に詳しい。
「[[岩波文庫]]」「日本古典文学大系」「新編日本古典文学全集」は、この梅沢本を底本としている。
 
== 各巻の巻名と内容 ==
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#かかやく藤壺=道長の長女[[藤原彰子|彰子]]が一条天皇の中宮となる。
#鳥辺野   =定子・詮子が相次いで崩御
#はつ花   =中宮[[藤原彰子|彰子]]の皇子出産 『[[紫式部日記]]』の引用部分あり。
#いわかげ  =一条天皇の崩御。
#日蔭のかつら=[[三条天皇]]の即位。
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#音楽    =法成寺金堂供養の様子。
#玉の台   =法成寺に諸堂が建立され、参詣の尼たちが極楽浄土と称えた。
#御裳着   =三条天皇皇女禎子内親王の裳着の式(女子の成人式にあたる)。 
#御賀    =道長の妻[[源倫子|倫子]]の六十の賀(長寿の祝い)
#後くゐの大将=道長の子、内大臣[[藤原教通|教通]]が妻を亡くして悲嘆する。
#とりのまひ =薬師堂の仏像開眼の様子。
#こまくらべの行幸=関白[[藤原頼通|頼通]]の屋敷で競馬が行われ。天皇も行幸した。
#わかばえ  =[[藤原頼通|頼通]]は初めての男子([[藤原通房|道房]])の誕生を喜ぶ。
#みねの月  =道長の娘[[藤原寛子|寛子]]が亡くなる。
#楚王の夢  =同じく[[藤原嬉子|嬉子]]も皇子出産後のひだち悪く亡くなる。道長夫妻は悲嘆にくれる。
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#松のしづ枝 =[[白河天皇]]即位。
#布引の滝  =頼通死去。[[藤原師実|師実]]が関白に。
#紫野    =応徳3年[[1086年]]白河天皇が退位。[[堀河天皇]]が即位し、師実は摂政になる。最後に、15歳の[[藤原忠実|忠実]](師実の孫)が春日大社の祭礼に奉仕する姿を描写して藤原一族の栄華を寿ぎ終了している。
 
== 関連項目 ==
* [[大鏡]]
* [[今鏡]]
* [[水鏡]]
* [[増鏡]]
* [[九州国立博物館]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.hyogo-c.ed.jp/~takatsuka-hs/takatsuka-d3/60.pdf 『栄花物語』の表現 −「めでたし」の位相]PDF
 
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[[Category:物語|えいかも平安時代かたり文化]]
[[Category:日本の文学作品|えいかものかたり物語]]
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