== 経歴 ==
1941年、メンフィスにて生まれ、1943年にドラムを始める。1960年代初期はめに[[シカゴ]]に越し、後に[[チェス・レコード]]の専属ドラマー]]としてなる。1966年にピアニストの[[ラムゼイ・ルイス]]のバック・ミュージシャンとドに加入する。この頃よりライヴで[[カリンバ]]を演奏して活躍いる。
1969年に[[シカゴ]]にてモーリスはラムゼイの下を離れ、自身のグループ、『ソルティ・ペパーズ』を結成し、これがアース・ウィンド・アンド・ファイアーの前身となる。[[キャピトル・レコード]]からシングルを残しているす。70年にはグループ名をこれがアース・ウィンド・アンド・ファイアー(以下後EWF)の前身と変えて[[ワなる。1970年にモーナー・ブラザーズ・レコード|ワーナー]]と契約した。名前の由来リスは[[占星術]]によるとモーリスは土、風、火の要素があるからと言う事からと、[[宇宙論]]を結びつけ、''Earth, Wind & Fire''(土と風と火)と改名づけした。1973年に''Head To The Sky''また拠点を[[コロムビアサンジェルス]]に変え、[[ワーナー・ブラザーズ・レコード|ワーナー]]からリリースと契約し、ゴールド・ディスクを獲得するた。1970年代後期には兄弟の[[エモヴァーショダイン・ホワイト|ヴァーダインズ]]に[[フレッド・ホワイト|フレッド]]を含めた10人のプロデュ大所帯バンドとなる。2作リリース、バするがヒックトラックに全面参加はせず。
EWFはモーリ1972年に活動拠点を[[ロサンジェルス]]に変え、[[コロムビア・ホワイトとレコード]]に移籍、[[フィリップ・ベイリー]]が加入。フィリップとモーリスのツインヴォーカル、重厚なホーン・セクションが特徴となる。コロムビアには以後1990年まであったが、1980在籍する。1975年代半ばには''That's the Way of the World''『[[暗黒への挑戦]]』を、そ同名の大きな売りであったホー映画の[[サウンド・セトラックションを捨]]として、打込みによリリースする電子音中心のバンド形式を取ったが低迷し、現在映画は再び原点回帰ヒットせず。この映画にはモーリスも出演している。
1976年に自己プロダクション、カリンバ・エンタテインメントを設立。"Boogie Wonderland"に参加している[[エモーションズ]]や[[デニース・ウィリアムス]]、ラムゼイ・ルイス等をプロデュースしている。1978年にはCBS/コロムビアの元、[[ARCレコード]]を設立。
1987年にファースト・ソロ・アルバムをセルフ・タイトル''Maurice White''で発表、"I Need You"がヒットチューンとなる。
1983年に発表した''Electric Universe''より、その大きな売りであったホーン・セクションを捨て、打込みによる電子音が特徴となる。このアルバムをリリース後、活動を一時停止、各メンバーはそれぞれソロ活動に移る。モーリスは1985年に、2007年現在唯一のソロ・アルバムとなる、''Maurice White''を発表、"I Need You"がヒットチューンとなる。
1995年にはラムゼイ・ルイス等のグループ[[アーバン・ナイツ]]の立ち上げにプロデューサーとして関与している。
EWF1987年に"Touch the World"をリリースし、活動を再開。1990年代に入ると、プロデューサー業に専念するようになるが、1994年の全米ツアーには参加せず。この頃よりモーリスがは[[パーキンソン病]]に罹ったため、現在1995年にライヴ活動をリタイア、以来のEWFの活動はフィリップが中心メンバーとなっている。幾度となく来日公演を行っているが、2004年に行われまた来日公演がモーリス込みで最後の公演とも噂される。[[コンコードは同年にラムゼイ・レコード]]により復活を果たした[[ルイスタックス・レコ等のグルード]]より、EWFのプ[[トリビュアートバン・アルバムナイツ]]''Interpetations''を2007年の立ち上げにリリース。モーリスは[[エグゼクティヴ・プロデューサー]]としてこのプロジェクトに参加関与している。
2004年にモーリスと共にEWFは来日公演したが、これがモーリス込みで最後の公演とも噂される。2007年には[[スタックス・レコード]]([[コンコード・レコード]]により復活)より、EWFの[[トリビュート・アルバム]]''Interpetations''をリリース。モーリスは[[エグゼクティヴ・プロデューサー]]としてこのプロジェクトに参加。
== 外部リンク ==
|