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'''ニューウェーブ北九州'''(―きたきゅうしゅう)は、[[福岡県]][[北九州市]]をホームタウンとする[[日本フットボールリーグ]](JFL)所属([[2008年]]~) - )の[[サッカー]]クラブチームである。
 
=== 前身概要 ===
'''ニューウェーブ北九州'''(―きたきゅうしゅう)は、[[福岡県]][[北九州市]]をホームタウンとする[[日本フットボールリーグ]](JFL)所属([[2008年]]~)の[[サッカー]]クラブチームである。
クラブの前身は北九州市[[八幡西区]]黒崎にあった[[三菱化成]](現・[[三菱化学]])[[サッカー部]](通称三菱化成黒崎)である。クラブの運営法人は[[NPO]]法人の'''北九州フットボールクラブ'''(以下「北九州FC」とする)である。クラブが2006年に策定した事業計画では2008年までに株式会社化することを目標としている。又トップチームは2010年までの[[Jリーグ]]参加を目標としている。
 
ホームスタジアムは九州リーグまでは[[八幡西区]]の[[北九州市立本城公園陸上競技場]]と[[戸畑区]]の[[鞘ヶ谷陸上競技場]]を併用している。これら2つのグラウンドは元々[[八幡製鉄サッカー部|新日鉄八幡サッカー部]]のホームグラウンドとして全国リーグ([[日本サッカーリーグ|JSL]])での使用実績がある。特に後者に関しては元々[[八幡製鉄所]]所有のグラウンドであった経緯を有している。本城公園陸上競技場の方がJリーグ規格に近く、2006年にはラグビーのテストマッチも行われたが、これでもJリーグが要求するスタジアムスペックに対して不備が存在する。
== クラブの概要・歴史 ==
 
=== 前身 ===
練習場は[[門司区]]の新門司球技場である。新門司球技場については、これを含めた北九州市立新門司体育施設が北九州FCにおいて[[指定管理者制度|指定管理者]]に指定されていて優先的な使用を可能にしている。
母体は全国に9つある地域リーグのひとつである九州サッカーリーグ(後の通称[[Kyuリーグ]])に所属していた北九州市[[八幡西区]]黒崎にある[[三菱化成]](現・[[三菱化学]])[[サッカー部]](通称三菱化成黒崎)。三菱化成黒崎は九州サッカーリーグが発足した初年度([[1973年]])の[[優勝]]チームであり、その後も[[1981年]]~[[1984年]]までの4[[連覇]]を含む計7回の優勝を果たす。しかし、1990年代後半に入ると九州各県から[[Jリーグ]]加入を目指す動きが起き始め、それに伴い強化を図るクラブチームが頭角を現した。それからは[[1989年]]に優勝したのを最後に徐々に成績を落とし優勝から遠ざかっていった。
 
下部組織としてU-18チーム、ユース年代の女子チームであるガールズ、そしてシニアチームが存在する。
 
== 歴史 ==
=== 三菱化成黒崎 ===
母体は全国に9つある地域リーグのひとつである九州サッカーリーグ(後の通称[[Kyuリーグ]])に所属していた北九州市[[八幡西区]]黒崎にある[[三菱化成]](現・[[三菱化学]])[[黒崎サッカー部]](通称三菱化成黒崎)。三菱化成黒崎は九州サッカーリーグが発足した初年度([[1973年]]シーズンの[[優勝]]チームであり、その後も[[1981年]] - [[1984年]]までの4[[連覇]]を含む計7回の優勝を果たしている。しかし、1990年代後半に入ると九州各県から[[Jリーグ]]加入を目指す動きが起き始め、それに伴い強化を図るクラブチームが頭角を現した。それからはこのため[[1989年]]に優勝したのを最後に徐々に成績を落とし優勝から遠ざかっていった。
 
=== 北九州のJリーグクラブ ===
1990年代初めになると日本各地でJリーグへの参加を表明するクラブが次々と名乗りをあげていった。しかし九州でJリーグ入りを表明したクラブは存在しなかった。このため九州から全国リーグであるJSLに唯一参加したサッカーチーム新日鉄八幡にJリーグ参加が打診されたが、新日鉄はこれを断わり1992年には九州リーグまで降格した。なおNW北九州の[[日本フットボールリーグ2008|2008年シーズン]]からのJFL参加は、北九州から全国レベルのリーグ戦に参加するという意味においてこの時以来17年ぶりのリバイバルということになる。
 
以上のような経緯から北九州にはJSLのファウンダーである新日鉄八幡という古豪クラブが存在しながらも九州最初のJリーグ参加クラブのホームタウンになる栄誉を逃してしまうことになった。結局九州最初のJリーグクラブは1996年にJリーグ入りした[[アビスパ福岡]]になり、北九州からJリーグ入りを目指す運動は暫く逼塞する事になった。
 
=== 市民クラブ化 ===
[[2001年]]に[[地域密着]]型のサッカー・[[スポーツクラブ]]作りの創設念頭におい目標とし北九州市と地元企業など共同で設立した「北九州FC」にが創設された。三菱化成黒崎は運営母体を北九州FC移し、現在のチーム名をNW北九州改めた。[[コカ・コー]]の自動販売機の売上の一部が運営費に贈られるなど地域密着型運営を行っている。ブは「北九州からJリーグチームを」と[[日本フッいうスローガンを掲げ当初からップチムのJリーグ|JFL]]参加を目指し活動していたが、他のJリーグ加入を目指すクラブチームよりも発足が出遅れたこともあり、選手補強も進まないままにクラブチーム化した後もしばらくは低迷期が続いた。
 
地元資本である[[井筒屋]]や[[ゼンリン]]などのスポンサードを受けたり、北九州市内に設置されている[[コカ・コーラ]]の自動販売機の売上の一部が運営費に贈られるなど地域密着型運営を行っている。
[[2005年]]、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]でも指導歴があり、地元出身の[[千疋美徳]]監督を迎えるが昇格ならず、同監督2期目となる[[2006年]]、従来からのスポンサーに加え[[北九州市]]からの支援も受け、今度こそ[[日本フットボールリーグ|JFL]]昇格も期待されたが、リーグ戦では[[沖縄かりゆしFC]]に2連敗した事などが響き、同じくJFL入りを目指す[[V・ファーレン長崎]]と、強豪新日鐵大分に次ぐ3位に終わり、その後全国地域リーグ決勝大会進出の最後の望みをかけた[[全国社会人サッカー選手権大会]]準決勝で同じくJFL入りを目指す[[静岡FC]]に敗れ、この時点で[[2007年]]からのJFL参入の望みが完全に潰えた。またこの年は、[[第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]福岡県予選で地元の[[東海大学付属第五高等学校|東海大五高校]]サッカー部に敗れるなど、JFL入りへの道のりの遠さをうかがわせた。
 
=== 九州リーグ ===
[[2007年]]、2期連続で地域リーグ決勝大会出場を逃した千疋監督を[[解雇]]、新監督には前年まで[[FC琉球]]監督だった[[与那城ジョージ]]を監督に迎える。選手補強の面でもJリーグ経験者のFW[[藤吉信次]]、GK[[水原大樹]]、クラブ史上初の[[ブラジル]]人選手となるDF[[ドグラス・ピレス・デ・ソウザ|ドグラス]]ら全選手の半数近くとなる10人(途中、DFタチコが入団)が新加入した。チームは[[九州社会人リーグ]]では常に上位争いに顔を出し、後半戦では一時首位に立つ。21節に勝利した時点で地域リーグ決勝大会への進出権を獲得する2位以上を確定、さらに最終22節で勝利した後、前日終了時点で首位だった[[ホンダロックサッカー部|ホンダロック]]が[[V・ファーレン長崎]]に敗れたことにより、逆転でKyuリーグ初(前身の三菱化成黒崎を含めても18年ぶり)の優勝を遂げた。
NW北九州の実質的な創設は2001年シーズンからで。他のJリーグ加入を目指すクラブチームよりも発足が少し出遅れた。このため選手補強も進まないままにクラブチーム化した後もしばらくは低迷期が続いた。
 
[[2005年]]、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]でも指導歴があり、地元出身の[[千疋美徳]]監督を迎えるが昇格ならず、同監督2期目となる[[2006年]]、従来からのスポンサーに加え[[北九州市]]からの支援も受け、今度こそ[[日本フットボールリーグ|JFL]]昇格も期待されたが、リーグ戦では[[沖縄かりゆしFC]]に2連敗した事などが響き、同じくJFL入りを目指す[[V・ファーレン長崎]]と、強豪新日鐵大分に次ぐ3位に終わり、その後全国地域リーグ決勝大会進出の最後の望みをかけた[[全国社会人サッカー選手権大会]]準決勝で同じくJFL入りを目指す[[静岡FC]]に敗れ、この時点で[[2007年]]からのJFL参入の望みが完全に潰えた。またこの年は、[[第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]福岡県予選で地元の[[東海大学付属第五高等学校|東海大五高校]]サッカー部に敗れるなど、JFL入りへの道のりの遠さをうかがわせた。
その後、[[全国地域リーグ決勝大会2007 (サッカー)|全国地域リーグ決勝大会]]では、1次ラウンドを1勝1PK勝で通過、最終ラウンドでは、初戦をPK負け、2戦目は90分での敗戦とともに落とし、一旦は4チーム中最下位になりながらも、混戦となったことが幸いし、最終戦[[バンディオンセ神戸]]に2-0で勝利したことにより、得失点差で逆転、[[ファジアーノ岡山]]に次ぐ2位となり、[[2008年]]度からの[[日本フットボールリーグ|JFL]]昇格を決定づけた。そして[[12月10日]]のJFL評議委員会において、昇格が正式に決定した。
 
[[2007年]]、2期連続で地域リーグ決勝大会出場を逃した千疋監督を[[解雇]]、新監督には前年まで[[FC琉球]]監督だった[[与那城ジョージ]]を監督に迎える。選手補強の面でもJリーグ経験者のFW[[藤吉信次]]、GK[[水原大樹]]、クラブ史上初の[[ブラジル]]人選手となるDF[[ドグラス・ピレス・デ・ソウザ|ドグラス]]ら全選手の半数近くとなる10人(途中、DFタチコが入団)が新加入した。チームは[[九州社会人リーグ]]では常に上位争いに顔を出し、後半戦では一時首位に立つ。21節に勝利した時点で地域リーグ決勝大会への進出権を獲得する2位以上を確定、さらに最終22節で勝利した後、前日終了時点で首位だった[[ホンダロックサッカー部|ホンダロック]]が[[V・ファーレン長崎]]に敗れたことにより、逆転でKyuリーグ初(前身の三菱化成黒崎を含めても18年ぶり)の優勝を遂げた。
北九州市に本拠地を置くサッカーチームが全国レベルのリーグに参加するのは、[[1990年-1991年のJSL]]に所属していた[[八幡製鉄サッカー部|新日本製鐵サッカー部]]以来およそ17年ぶりである。
 
その後、[[全国地域リーグ決勝大会2007 (サッカー)|全国地域リーグ決勝大会]]では、1次ラウンドを1勝1PK勝で通過、最終ラウンドでは、初戦をPK負け、2戦目は90分での敗戦とともに落とし、一旦は4チーム中最下位になりながらも、混戦となったことが幸いし、最終戦[[バンディオンセ神戸]]に2-0で勝利したことにより、得失点差で逆転、[[ファジアーノ岡山]]に次ぐ2位となり、[[2008年]]度からの[[日本フットボールリーグ|JFL]]昇格を決定づけた。そして[[12月10日]]のJFL評議委員会において、昇格が正式に決定した。
== 本拠地 ==
Kyuリーグ所属時には、ホームスタジアムとして[[北九州市立本城公園陸上競技場]]([[八幡西区]])と鞘ヶ谷陸上競技場([[戸畑区]])を併用し、[[2005年]][[9月]]までは、本城陸上競技場が芝養生により使用できないための代替、またその後も北九州市でKyuリーグを集中開催する際などに新門司球技場([[門司区]])も使用していた。ただし、2007年シーズンには、本城陸上競技場および補助競技場のみが使われた。JFL昇格後は、JFLのスタジアム基準から、主に本城陸上競技場が使われる見込みだが、[[2008年]]夏頃までは、同競技場がトラック改修工事のため使用できないことから、工事期間中は鞘ヶ谷などで開催される見込みである。
 
== 戦績 ==