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[[image:Sta Rosa de Lima por Claudio Coello.jpg|right|thumb|200px|リマのローザ]]
聖'''リマのロー
==生涯==
ロー
聖[[シエナのカタリナ]]を見習い、彼女は秘密の苦行の一つとして週に三度の[[断食]]をしていた。彼女は家族と友人の反対を押し切り、髪を切り落とした。両親の非難から、ロー
▲ローザは幻視、天啓、天恵、そして声を、彼女の両親が懺悔のしきたりを以前以上に嘆き悲しむよう、話し始めた。
多くの時間が、日々彼女が受け取る神聖な七聖礼典を瞑想することに費やされた。彼女は、結婚して欲しいという両親の願いに反して、貞節を守ることに決めた。彼女の聖人伝は、責めさいなまれる苦しみの心と、精神の寂しさが、しばしば彼女をさらなる難行苦行に駆り立てていたと強調している。
日々の断食は食事からの精進を絶え間なくしていた。彼女の毎日は慈善行為と生産活動に占められていた。ロー
1597年、彼女は[[堅信]]でロー
休むことなしに14年間の自己犠牲を続け、31歳で亡くなるまで恍惚のへだたりをもった。彼女の葬儀にはリマ中の全ての公の人々が出席し、[[大司教]]は聖堂内で彼女の賛辞をのべた。
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1667年、[[ローマ教皇]][[クレメンス9世]]により[[列福]]され、1671年に[[クレメンス10世]]により最初のアメリカ大陸の聖人として、[[列聖]]された。友人マルティン・デ・ポーレス、アロンソ・アバドらが、リマの[[サント・ドミンゴ修道院]]内に彼女の礼拝堂を建てた。カトリック教会は、彼女の死によって多くの奇跡が起きたと認定している。新世界におけるサンタ・ローザという地名は、この聖人を追憶するものである。[[ベネディクト16世]]はこの聖人に特別な献身を捧げた。
彼女の典礼用の祝日は8月30日である。なぜなら、ロー
==外部リンク==
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