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昭和56年([[1981年]])父・伊藤宗一郎防衛庁長官の秘書官となる。昭和60年([[1985年]])国際ニュース番組「[[CNNデイウォッチ]]」のメインキャスターに起用される。また、昭和63年([[1988年]])には[[ファミリーコンピュータ]]用ソフト・「[[アメリカ大統領選挙_(ゲームソフト)|アメリカ大統領選挙]]」([[ヘクト (ゲームソフト会社)|ヘクト]])の監修を務める。[[平成]]7年([[1995年]])[[玉川大学]]大学院非常勤講師となり、[[マスメディア]]論・[[国際関係論]]の講座を持つ。平成8年([[1996年]])父・伊藤宗一郎衆議院議長の政策担当秘書に就任する。平成11年([[1999年]])[[東北福祉大学]][[助教授]]、平成13年([[2001年]])同大学教授となる。
 
平成13年父の死去に伴い、宮城4区衆議院議員補欠選挙が行われることになる。自民党は候補者予備選挙を実施し、前[[参議院議員]]だった[[亀谷博昭]]に大差をつけて、自民党公認を得、補欠選挙に立候補し当選する。平成17年([[2005年]])[[郵政解散]]前は、[[郵政民営化]]に慎重な立場をとっていたが、衆議院本会議での採決では公認を得られなくなることを恐れ、賛成に回る。[[第44回衆議院議員総選挙]]では自民党公認を得て三選。[[第3次小泉改造内閣]]で[[外務大臣 (日本)|外務大臣]][[政務官]]に就任する。
 
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