「第6SS装甲軍」の版間の差分

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==春の目覚め作戦と終焉==
ラインの守り作戦が失敗に終わり[[アルデンヌ]]から撤退した第6SS装甲軍はまた戦力を消耗していた。第1SS装甲師団と第12SS装甲師団は海軍の兵士を含めた補充兵で兵員を9割(1万9000名)・装甲車輌は5割(90両)にまで回復はしたものの、自走榴弾砲が2門だけの師団があった。SS最高指導者である[[ハインリヒ・ヒムラー]]の権力で優先的に装備や兵員を得る事が出来た武装SSであっても充分な戦力回復は望めなくなっていた。
だが、それでもSS第1装甲軍団は1945年2月に[[ハンガリー]]での[[ソビエト連邦|ソ連]]軍[[橋頭堡]]を攻撃する南風作戦に参加し、ソ連軍を撃退する事に成功した。
ヒトラーはドイツ本国が危機に立たされた中で[[ルーマニア]]の[[油田]]奪還の為にハンガリーで攻勢をかける事を決めた。春の目覚め作戦である。第6SS装甲軍は作戦前の偽装工作をして各部隊に補充部隊や訓練部隊と言う偽の名称を付けてハンガリーへ向かった。
3月6日から始まった[[春の目覚め作戦]]は雪解けの泥により戦車や車輌の足を鈍らせ、ソ連軍も動きを察知して防御を固めていた事からドイツ軍の進撃は遅々として進まず9日後の15日には幅50キロ、縦深300キロを確保した時点で作戦を中断した。こうしてドイツ最後の大規模攻勢は失敗した。この失敗にヒトラーは激怒して自身の名を冠する第1装甲師団の兵員から軍服の左袖の[[袖腕章]]「ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー」を取り外せと命じた。だが、ディートリヒは取り合わなかった。ドイツの最期になるとヒトラーに忠誠を誓うSSもヒトラーを見限り始めていた。