「足利義昭」の版間の差分

なお、朝倉家亡命中の永禄11年(1568年)4月15日、「秋」の字は不吉であるとし、正式に[[元服]]して'''義昭'''と改名した。加冠役は朝倉義景が務めている(なお、義昭はこの時点まで正式な元服を行ったという文献史料は一切無く、当時としてはあまりに遅すぎる元服だったといえる)。
 
やがて、朝倉家の重臣であった[[明智光秀]]の仲介により、[[美濃国|美濃]]の織田信長を頼って美濃へ移る。永禄11年([[1568年]])9月、[[織田信長]]に擁立されて上洛。10月18日、将軍宣下を受けて第15代将軍に就任した。従四位下、参議・左近衛権中将に昇叙・任官される
10月18日、将軍宣下を受けて第15代将軍に就任した。
従四位下、参議・左近衛権中将に昇叙・任官される。また、管領家である[[細川昭元]]や[[畠山昭高]]に偏諱を与え幕府の再興を計った。
 
=== 織田信長との対立 ===
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