「ヒロ・ヤマガタ」の版間の差分

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== 来歴 ==
=== 日本居住時代(1948-72) ===
[[1948年]]、材木屋の父のもと6人姉弟の3番目として産まれる。幼少の頃より画才を示す。
 
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[[1972年]]、五海祐治、[[崔洋一]]、篠毅らと共同で「JIM」を渋谷に設立。
 
=== ヨーロッパ居住時代(1972-78) ===
[[1972年]]、恋人を追いかけ[[ミラノ]]へ渡るが実らず、その後[[パリ]]へ渡り定住。[[ルーヴル美術館]]に日参しながら、作品制作に没頭。[[ヒエロニムス・ボス]]や[[ピーテル・ブリューゲル]]の世界に衝撃を受ける。
 
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以後、LAへ移住するまでパリを拠点に様々なサロンへ出展すると同時に、ヨーロッパ各地で個展を開催。この頃の作品は大半が水彩や油彩で、後に一世を風靡する[[リトグラフ]]や[[シルクスクリーン]]などの[[版画]]はほとんど制作されていない。また、渡仏中の[[間章]]をはじめ、スティーブ・レイシーなどの音楽家、ブライアン・ガイシンなどの詩人らの仲間と共に[[ジャズ]](JAZZ)に熱中。オーガナイザーメンバーとして公演開催のため私財を投げ打ち奔走。当時たまり場だったカフェでは詩人の[[アレン・ギンズバーグ]]やグレゴリー・コルソーとも出会う。1974年には、[[レーザー]]を使った[[インスタレーション]]をパリ市内の劇場で初めて実施している。
 
=== アメリカ居住時代(1972-現在) ===
[[1978年]]、[[ロサンゼルス]]の画廊と契約してLAに移住。[[版画]]的技法の[[シルクスクリーン]]で、100色以上もの色を散りばめた鮮やかな多色作風により、一躍その名を馳せる。以降、アメリカ各地で個展を開き、アートEXPOへも出展するようになる。彼の作品の多くは、シルクスクリーンによる鮮烈な色彩が非常に印象的である一方で、作品中の細部の人物の顔など真近で見ないとわからないところまで緻密に描写され、繊細である。