「春秋公羊伝」の版間の差分

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m 平勢隆郎の新説は定説ではないので定義からは外した。体裁・公羊学を記載
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『'''春秋公羊伝'''』(しゅんじゅうくようでん)は『[[春秋]]』の注釈書であり、『[[春秋左氏伝]]』・『[[春秋穀梁伝]]』と並んで、最も重要なものの一つとされる。
 
== 公羊の作者 ==
公羊伝の作者について[[班固]]の『[[漢書]]』[[芸文志]]では、「公羊子」とするのみで具体的な名を挙げていない。[[後漢]]の戴宏は、[[孔子]]の弟子[[子夏]]が、[[公羊高]]に伝え、公羊高→公羊平→公羊地→公羊敢→公羊寿と伝え、[[前漢]]の[[景帝 (漢)|景帝]]の時、公羊寿が胡毋生(こむせい・一説に胡母生(こぼせい)とも。斉の人)とともに竹簡にまとめ、[[董仲舒]]に伝えたという。しかし、戴宏はこの伝承を図讖(後漢に流行した神秘思想にもとづく予言書)から拾ってきており、そのまま信用はできない。ただし、[[董仲舒]]の師である胡毋生が公羊伝を最終的にまとめたことは『史記』にも記載されているので確かであると考えられる。他の多くの先秦の書物と同じく多くの人の手が加えられ[[漢の景帝期に現在の形にまとまったと考えられる。