「秩禄公債」の版間の差分

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'''秩禄公債'''(ちつろくこうさい)とは、[[明治]]6年([[1873年]])[[12月27日]]に出された[[太政官布告]]第425号に基づき、[[家禄]]・[[賞典禄]]を自主的に奉還した者に対して起業資金を与える目的で起こされた[[公債]]のこと。
 
==概略==
 
[[明治政府]]は明治4年([[1871年]])に[[廃藩置県]]を断行して長年続いた[[封建制度]]を解体したものの、依然として旧[[武士]]階層([[華族]]・[[士族]]・[[卒]])に家禄・賞典禄などの秩禄を払う義務があった。当時の政府予算の4割が秩禄支給に充てられた事から一刻も早い[[秩禄処分]]が求められていたが、その場合に生活の糧を失った旧武士階層が[[士族反乱]]などを起こす可能性があった。そこで[[士族授産]]を行って旧武士が自立した生計を立てられるようにして少しずつ秩禄からの依存から脱却させる政策を採った。そこで同年暮れに旧武士階層に対して、現在[[官職]]にある者以外は自由に農工商業に従事できるものちして自主的な就業を促した。だが、薄禄の者は起業意欲があってもそのための資金がない例もあったために、その対策として秩禄の返上と引換に秩禄数年分を起業資金として渡すこととしたのである。
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この打ち切りまでの間に出された秩禄公債は16,565,850円(現金支給は19,326,829円78銭5厘)であり、支給対象者は135,884人であった。償還は明治9年から開始されたが、翌年の[[西南戦争]]によって1年繰り延べが行われて、最後の発行から8年目の明治17年([[1885年]])に全額の償還が完了した。なお、利払いは9,749,292円93銭3厘であった。
 
この政策はいわば無期限の家禄を変じて有期公債とするものであり、旧武士階層は国家に対する経済上の特権を永久に失い、一時賜金、秩禄公債を産業資本として帰農した一部士族は「土地低価払下」の特典によって地方の中小地主になったが、帰商した一部士族はうち続く貧困と「士族の商法」によってほとんどの公債は急速に高利貸資本家に吸収され、無産者、下級俸給者となった。
 
== 関連項目 ==