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'''ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ'''('''George(George Herbert Walker Bush''', [[1924年]][[6月12日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の第43代[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]および第41代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]([[1989年]]-[[1993年]])。副大統領在任中に次期大統領選に出馬して当選した大統領としては[[マーティン・V・ビューレン|ヴァンビューレン]]以来144年ぶり、四人目
 
== 人物・来歴 ==
 
1945年1月6日にバーバラ・ピアスと結婚し、6人の子供をもうけた。
*[[ジョージ・W・ブッシュ|ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]](''George(George Walker Bush'', 1946年7月6日 - 第43代大統領)
*ポーリン・ロビンソン「ロビン」・ブッシュ(''Pauline Robinson "Robin" Bush'', 1949年12月20日 - 1953年10月11日。白血病で死去。)
*[[ジェブ・ブッシュ|ジョン・エリス「ジェブ」・ブッシュ]](''John(John Ellis "Jeb" Bush'', 1953年2月11日 - フロリダ州知事)
*ニール・マローン・ブッシュ (''Neil Mallon Bush'')
*マーヴィン・ブッシュ (''Marvin Bush'')
*ドロシー・ウォーカー・ブッシュ(''Dorothy・コッチ(Dorothy Walker Bush'' Koch, 1959年8月18日 - )
 
父親の上院議員職、長男ジョージ・W・ブッシュの[[テキサス州]]知事および大統領、三男ジェブ・ブッシュの[[フロリダ州]]知事などの政治的な成功で、ブッシュ家は王朝としてなぞらえられ、[[ジョン・アダムズ]]および[[ケネディ]]家のそれと比較された。
 
ブッシュはレーガンと予備選挙の時こそ対立したものの、副大統領としてはレーガンに忠実に仕えた。レーガンも銃撃事件をきっかけにブッシュの謙虚な人格を信頼するようになった。
 
ブッシュは[[外交]]・[[安全保障]]に並々ならぬ関心をもった副大統領であった。
 
== 1988年の大統領選挙==
二期にわたって副大統領を務めた後、満を持して出馬した1988年の大統領選では、[[マサチューセッツ州]]知事・[[マイケル・デュカキス]]に地滑り的な大勝をおさめた。在任中の副大統領としては[[マーティン・ヴァン・ビューレン|マーティン・ヴァンビューレン]]以来144年ぶり四人目、二期目を務めている最中の副大統領としては実に[[ジョン・アダムズ]]以来192年ぶり二人目の大統領当選者で、「副大統領は長く務めるほど大統領選が不利になる」というジンクスを覆した。
[[1988年アメリカ合衆国大統領選挙|1988年の大統領選挙]]を参照のこと
 
== 大統領職 ==
''→ 詳細は「[[1988年アメリカ合衆国大統領選挙|1988年の大統領選挙]]」の項を参照のこと。''
 
== 大統領 ==
[[1989年]]第41代大統領に就任したブッシュが最初に取り組んだのは国内における[[麻薬]]の浄化であった。彼はその一環として中南米で麻薬交易の中継となっている[[パナマ]]の[[マヌエル・ノリエガ]]政権に対する侵攻を決意する。12月、2万4千人の米軍の侵攻によりノリエガは逃亡するが翌年1月に逮捕されアメリカ国内で40年の[[禁錮|禁固]]刑を受けた。
 
 
== 1992年の大統領選挙==
再選をかけた1992年の大統領選では[[アーカンソー州]]知事の[[ビル・クリントン]]に惜敗、現職大統領としては[[ジミー・カーター|カーター]]、[[ジェラルド・フォード|フォード]]に続いて戦後三人目の不名誉な敗北となった。
[[1992年アメリカ合衆国大統領選挙|1992年の大統領選挙]]を参照のこと
 
''→ 詳細は「[[1992年アメリカ合衆国大統領選挙|1992年の大統領選挙]]」の項を参照のこと。''
==政界引退後==
 
==政界引退後==
選挙での敗北後、ブッシュは公の生活から引退した。後任の[[ビル・クリントン]]に[[ホワイトハウス]]を引き渡す時、[[ジョーク]]として[[ホワイトハウス]]のスタッフが複数のドアノブを取り外したり、キーボードのキートップを外す、鉛筆を小さく削るなどのいやがらせを行ったという。現在ブッシュはテキサス州[[ヒューストン]]で、時折パラシュートダイビングをして暮らしている。
[[Image:20061007-1 ghwbush5-746v.jpg|thumb|250px|空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」の進水式<br />
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<small>左から息子の[[ジョージ・W・ブッシュ]]大統領、本人、施工主[[ノースロップ・グラマン]]社長のマイク・ペタース、娘の[[:en:Dorothy Bush Koch|ドロシー・ブッシュ・コッチ]]。2006年10月7日。</small>]]
大統領選挙での敗北後、ブッシュは公の生慣例にしたがって政治から引退した。<!--後任の[[ビル・クリントン]][[ホワイトハウス]]を引き渡す時、[[ジョーク]]として[[ホワイトハウス]]のスタッフが複数のドアノブを取り外したり、キーボードのキートップを外す、鉛筆を小さく削るなどのいやがらせを行ったという。--><!-- 本人の事績ではない --><!--現在ブッシュはテキサス州[[ヒューストン]]で、時折パラシュートダイビングをして暮らしている。--><!-- ?? -->特に息子がテキサス州の知事となり、共和党の有力な大統領候補として頭角を現すようになってからは、その妨げとならないよう、他の退任した大統領よりも増して公の場には極力姿を表さないよう心がけていた
 
そのブッシュを公の席に「引っぱり出した」のが、意外にもビル・クリントンだった。クリントンは自らの退任後、同じ「元大統領」としてブッシュをさまざまな非政治的な式典や被災地の慰問などに誘った。そうしたことから両者の仲は極めて親密なものとなり、その関係は相互の家庭を時折訪問するほどまでになった。息子の嫁の[[ローラ・ブッシュ|ローラ]]夫人はその仲よしぶりを「うちの家族にはミスタープレジデントが三人もいるんですよ」と評したこともある。
<!--[[1995年]][[9月14日]]、[[東京ドーム]]での「[[世界平和女性連合]]主催の同総裁[[韓鶴子]](統一教会([[世界基督教統一神霊協会]])教祖、[[文鮮明]]の妻)の講演会に妻バーバラと共に参加し、ゲストスピーカーとして家庭の価値の重要性を訴える講演をした。-->
 
ブッシュは一期限りの大統領だったが、任期中に大統領の名を汚すようなスキャンダルには一切見舞われなかったことから、退任後はその名がさまざまな施設や艦船につけられることになった(逆に揉み消しスキャンダルで辞任した[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]や、大統領選挙に一度も勝たずに大統領になったフォードや、セックススキャンダルが弾劾審理にまで発展したクリントンの名は忌避される傾向にある)。1997年には地元[[テキサス州]][[ヒューストン]]の空港が「[[ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港]]は[[1997年]]に彼にちなんで」と改名された。また[[2002年]][[12月9日]]、には[[ニミッツ級航空母艦]]の10番艦が「[[ジョージ・H・W・ブッシュ (空母)|10番艦ジョージ・H・W・ブッシュ]](USS George H. W. Bush, CVN-77)の名前命名されることが決定するになった。存命中の元大統領の名前が命名さ合衆国海軍の艦船に冠せられるのは、カーター、レーガン大統領に続き2史上3人目。同艦は2009年就役予定
 
== トリビア逸話 ==
{{雑多な内容の箇条書き|date=2008年1月}}
*1992年1月7日に来日した際、最初に[[京都御所]]を見学し、その場で行われていた[[蹴鞠]]に飛び入りで参加した。翌日、[[今上天皇]]([[明仁]])と2回[[テニス]]のダブルスで対戦しているが、2回ともブッシュ側が負けている。その日の[[宮澤喜一]][[内閣総理大臣|総理大臣]]主催の晩餐会の最中、突然椅子から崩れるように倒れ、その様子は世界中のマスメディアが[http://www.youtube.com/watch?v=XnOnDatqENo トップニュースとして報道した]。[[バーバラ・ブッシュ]]夫人がとっさの機転で「ブッシュ家は負けることに慣れていないのです」とジョークを飛ばし、その場を救った。日本政府は、[[慶應義塾大学病院]]を手配したが、アメリカ側は、ただの[[インフルエンザ]]に過ぎないからとこれを受諾せず、アメリカ[[大使館]]の[[医務官]]が対応した。
*大の[[ブロッコリー]]嫌いで知られており、大統領専用機の機内食のメニューからブロッコリーを削除した。また、「'''ブロッコリーは嫌い。二度と食べない。ポーランド市民がソ連と闘ったように私もブロッコリーと闘う'''」と発言したことに怒ったブロッコリー[[農家]]から、大量のブロッコリーを送りつけられたことがある。
*[[太平洋戦争]]で撃墜された愛機の名前は後の妻の名前である“バーバラ”だった。ちなみに撃墜された後、3日間、太平洋をひとりぼっちで漂流し他の4人のパイロットとともに[[フィンバック (潜水艦)|フィンバック]]に救助された。なお、このとき他にも4機の米軍機が撃墜されたが、8人の米軍兵士が捕虜として日本兵により人肉食されていたことが戦後の裁判で明らかになり、日本国民はその事実に驚愕することになる。この事件は、ブッシュの対日観に長いこと影を落としたといわれている。([[カニバリズム]]の父島人肉食事件参照)
 
==内閣==
|align="left"|&nbsp;||align="left"|'''[[ローレンス・イーグルバーガー]]'''||align="left"|1992 - 1993
|-
|align="left"|[[アメリカ合衆国財務長官|財務長官]]||align="left"|'''[[ニコラス・F・ブレイディ]]'''||align="left&quot;|1989 - 1993
|-
|align="left"|[[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]]||align="left"|'''[[リチャード・チェイニー]]'''||align="left"|1989 - 1993
|-
|align="left"|[[アメリカ合衆国司法長官|司法長官]]||align="left"|'''[[リチャード・L・ソーンバーグ]]'''||align="left"|1989 - 1991
|-
|align="left"|&nbsp;||align="left"|'''[[ウィリアム・P・バー]]'''||align="left"|1991 - 1993
|-
|align="left"|内務長官||align="left"|'''[[マヌエル・ルージャン・ジュニア]]'''||align="left"|1989 - 1993
|-
|align="left"|商務長官||align="left"|'''[[ロバート・A・モバカー]]'''||align="left"|1989 - 1992
|-
|align="left"|&nbsp;||align="left"|'''[[バーバラ・ハックマン・フランクリン]]'''||align="left"|1992 - 1993
|-
|align="left"|労働長官||align="left"|'''[[エリザベス・ドール]]'''||align="left"|1989 - 1991
|align="left"|&nbsp;||align="left"|'''[[リン・マーティン]]'''||align="left"|1991 - 1993
|-
|align="left"|農務長官||align="left"|'''[[クレイトン・K・ユッヤイター]]'''||align="left"|1989 - 1991
|-
|align=";left"|&nbsp;||align="left"|'''[[エドワード・マディガン]]'''||align="left"|1991 - 1993
|-
|align="left"|保健社会福祉長官||align="left"|'''[[ルイス・W・サリヴァン]]'''||align="left"|1989 - 1993
|-
|align="left"|教育長官||align="left"|'''[[ラウロ・カヴァーゾス]]'''||align="left"|1989 - 1990
|align="left"|&nbsp;||align="left"|'''[[ラマー・アレクサンダー]]'''||align="left"|1991 - 1993
|-
|align="left"|都市住宅開発長官||align="left"|'''[[ジャック・F・ケンプ]]'''||align="left"|1989 - 1993
|-
|align="left"|運輸長官||align="left"|'''[[サミュエル・K・スキナー]]'''||align="left"|1989 - 1992
|-
|align="left"|&nbsp;||align="left"|'''[[アンドリュー・H・カード]]'''||align="left"|1992 - 1993
|-
|align="left"|エネルギー長官||align="left"|'''[[ジェームズ・D・ワトキンス]]'''||align="left"|1989 - 1993
|-
|align="left"|復員退役軍人長官||align="left"|'''[[エドワード・J・ダーウィンスキー]]'''||align="left"|1989 - 1993
|}
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