「聚楽第」の版間の差分

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聚楽第は、建造中は「内野御構」<small>(うちのおかまい)</small>と呼ばれていたことが知られており、その初見は『[[多聞院日記]]』天正14年2月27日の条にある「去廿一日ヨリ內野御構普請」。「聚楽」の名が使われ始めるのは九州征伐から帰還した後のことである。
 
「聚楽」という名の名の由来については、秀吉が御伽衆の大村由己に書かせた『[[天正記]]』のひとつ『聚楽第行幸記』に「長生不老の樂を聚<small>(あつ)</small>むるものなり」とある。これ以外に「聚楽」の出典が見いだせないことから、史家のあいだではこれが秀吉の造語によるものだとする見方が一般的となっている。
 
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