「原田宗時」の版間の差分

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宗政に嗣子が無かったため、[[1582年]]に宗政が戦死すると、その後を継いだ。[[伊達政宗]]に早くから仕え、武勇に優れていたことから政宗の厚い信頼を受けた。[[摺上原の戦い]]にも参加して武功を挙げている。
 
[[1593]]年、[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]のときに政宗に従って渡海したが、まもなく釜山にて病を患い[[対馬国]]にまで戻ったが、そこで同年のうちに病死した。政宗は宗時のあまりにも早すぎる死を惜しみ、『国風六首』を詠じた。
 
[[後藤信康]]と対立関係にあり、日頃の信康の態度に憤激した宗時は信康に決闘を申し入れたが、信康に諭され和解したという武人らしいエピソードも残る。