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'''恭帝侗'''(きょうていとう、
段達が礼部尚書・右翊衛大将軍となり、王世充が吏部尚書・左翊衛大将軍となり、元文都が内史令・左驍衛大将軍となり、盧楚が内史令となり、皇甫無逸が兵部尚書・右武衛大将軍となり、郭文懿が内史侍郎となり、趙長文が黄門侍郎となって、朝廷を牛耳った。ときに洛陽の人々は段達らを「七貴」と称した。七貴のあいだは険悪で、元文都・盧楚・郭文懿・趙長文は王世充に殺害され、皇甫無逸は[[長安]]に逃れて[[唐]]に帰順した。
== 伝記資料 ==
* 『[[隋書]]』巻五十九 列伝第二十四「煬帝三男伝」
* 『[[北史]]』巻七十一 列伝第五十九「隋宗室諸王伝」
▲しかし、王世充が李密を破って実権を完全に掌握すると、楊侗は邪魔者と為り、翌年に王世充に[[禅譲]]することを余儀なくされた上で殺害されたのである。帝位についたとはいえ、[[李淵]]に禅譲した恭帝侑とは異なり、後世からは正統な皇帝とされていない。
== 参考文献 ==
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