「八色の姓」の版間の差分

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(真人を筆頭に)
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『日本書紀』の天武天皇十三年冬十月の条に、「詔して曰はく、更諸氏の族姓を改めて、八色の姓を作りて、天下の万姓を混(まろか)す。一つに曰く、真人。二つに曰く、朝臣。三つに曰く、宿禰。四つに曰く、忌寸。五つに曰く、道師。六つに曰く、臣。七つに曰く、連。八つに曰く、稲置」とある。
 
天武天皇の国風[[諡号]](和風諡号、わふうしごう)は、天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。「真人」が使われており、八色の姓の筆頭にあげられている。
 
==姓を賜う==
 
== 氏姓制から令制官僚制へ ==
[[680年]](天武10)[[飛鳥浄御律令]]の選定を開始したことに見られるように、また、八色の姓の詔にも見られるように、旧来の氏族制度を改革し、新しい国家体制に即応出来る官僚制創造の政策の一環であった。
 
[[奈良時代]]から[[平安時代]]に至って、[[源氏|源]]・[[平氏|平]]・[[藤原氏|藤]]・[[橘氏|橘]]の四姓が隆盛になると、その末裔の姓はほとんどが朝臣になってしまい、姓そのものの意味がなくなっていった。
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