「ローマ人」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Kliment.A.K. (会話 | 投稿記録)
リンク先記事名の変更に伴う修正
編集の要約なし
4行目:
#1.が建設した[[ローマ帝国]]で、[[ローマ市民権]]を取得したもの。この場合、[[ラテン人]]の血統を引くとは限らないし、[[ラテン語]]話者とも限らない。[[カラカラ]]帝による「[[アントニヌス勅令]]」で帝国内の全自由民がローマ市民権を保有することになり、その数は非常に多くなった。このため東西分裂後の[[東ローマ帝国]]では、住民の大半が[[ギリシャ人|ギリシャ系]]であったが、ローマ市民権保持者として15世紀の帝国滅亡まで「ローマ人」と自称しつづけた。東ローマ帝国が[[オスマン帝国]]に滅ぼされた後も、オスマン帝国領の[[ギリシア語]]を話す[[キリスト教]]の[[正教会]]信者は、[[18世紀]]から[[19世紀]]にかけて[[西ヨーロッパ]]から[[ナショナリズム]]思想がもたらされるまで、ローマ人を名乗っていた。彼らがナショナリズム思想の影響を受け、[[古代ギリシア]]の文明に[[アイデンティティー]]を感じるようになって近代民族としての[[ギリシャ人]]が誕生した。ただし、現在のギリシャでも、自らを「ローマ人」という呼ぶことがあるという。
#現代の[[イタリア]]において[[ローマ市]]、およびその周辺に居住する人を指す。
#[[ルーマニア人]]の自称。[[ダキア]]地方に住みついた1.の末裔と称している。「ルーマニア」という国名も「ローマ人の国」と言う意味である。
 
{{aimai}}