「ベルナルド・ベッロット」の版間の差分

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1747年から1758年にかけ、彼は[[ザクセン選帝侯]]でもある[[ポーランド]]王[[アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト王]]の招きに従い、[[ドレスデン]]へ赴いた。彼はドレスデンとピエルナ、またその郊外を描いた作品を多く残した。今日、これらの絵画が、[[第二次世界大戦]]中の大規模空襲で破壊されたドレスデンの、かつての美しさをうかがわせるものだとして保存されている。
 
彼の国際的な知名度が上がるに連れ、1758年に[[ハプスブルク家]]の女帝[[マリア・テレジア]]の招きで[[ウィーン]]へ向かった。ここで彼は市内の記念物を描いた。その後まもなくに[[ミュンヘン]]、そして、再びドレスデンへ移った。[[サンクト・ペテルブルク]]滞在時、彼はポーランド王[[スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ]]の招聘を受けポーランド宮廷画家となった。スタニスワフ王の画家として彼は残りの人生を[[ワルシャワ]]で送り、彼はおびただしい量の首都や、[[ワルシャワ王城]]を取り巻く眺めを多く描いた。彼がワルシャワを描いた一連の絵画は、第二次世界大戦で焼け野原となった[[ワルシャワ歴史地区]]復興の参考資料となった。
 
彼は1780年にワルシャワで死んだ。