「ニケフォロス3世ボタネイアテス」の版間の差分

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'''ニケフォロス3世ボタネイアテス'''(?-(Nikephoros III Botaneiates [[ギリシャ語]]表記:Νικηφόρος Γ' Βοτανειάτης ?-[[1081年]])は、[[東ローマ帝国]][[ドゥーカス王朝]]の[[皇帝]](在位[[1078年]]-1081年)。
 
時の皇帝・[[ミカエル7世ドゥーカス]]の時代、帝国は[[セルジューク朝]]の侵攻や皇位をめぐる内紛、財政破綻などから混乱を極め、各地の有力者による内乱も頻繁に勃発していた。このような中、アナトリコン・テマの長官であったニケフォロスは[[小アジア]]で反乱を起こし、1078年に首都・[[コンスタンティノープル]]で起きた反乱によって退位したミカエル7世の後を継いで、皇帝として即位したのである。このとき、ニケフォロス3世は、ミカエル7世の[[皇后]]であったマリアと結婚している。
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ニケフォロス3世には男児が無く、マリアとの間にも子供に恵まれなかったため、ミカエル7世とマリアとの間に生まれていた息子・コンスタンティノスを後継者に指名した。しかし、それに不満を抱いた貴族の反乱や[[セルジューク朝]]の侵攻などの対策に追われ、内政を顧みる余裕が無く、先代からの帝国の混乱は続いた。
 
このような中での1081年、アレクシオス・コムネノス(のちの東ローマ皇帝・[[アレクシオス1世コムネノス]])が反乱を起こして首都へ進軍してくると、ニケフォロス3世は退位を余儀なくされ、[[修道院]]へ隠退したのである
 
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[[en:Nicephorus III]]
[[de:Nikephoros III.]]
 
[[Category:ローマ皇帝|にけふおろす3せいぼたねいあてす]]