「朝乃翔嚆矢」の版間の差分

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年寄・若松の名跡は、2002年2月に11代若松(元大関・[[朝潮太郎 (4代)|朝潮]])と6代[[高砂 (相撲) |高砂]](元小結・[[富士錦猛光|富士錦]])が名跡交換し、富士錦が定年退職するまでの1カ月間、12代若松を名乗っていた。その後、元関脇・[[琴錦功宗|琴錦]]が13代若松を襲名したが、これは他の年寄名跡が空くまで一時的に一宮章氏(富士錦)から借り受けた借株であった。[[2003年]]9月、琴錦は年寄・[[竹縄]]を春日野親方(元関脇・[[栃乃和歌清隆|栃乃和歌]])から借り受け、若松を返上した。
 
そして2003年10月、朝乃翔が一宮章氏(富士錦)から若松を借り受けて、準年寄から14代若松を襲名した。後に朝乃若が若松の年寄名跡を取得したが、引き続き朝乃翔が借り受けて若松を名乗っていた。[[2005年]]4月、朝乃若が引退し若松を襲名するため、[[大鵬部屋]]の元十両・[[大竜忠博|大竜]]が借株で襲名していた年寄・佐ノ山を[[千代大海龍二|千代大海]]から借り受けて名跡変更した。さらに2005年[[8月5日]]、空き株となっていた年寄・[[関ノ戸 (相撲)|関ノ戸]]を松井孝一氏(元関脇・[[福の花孝一|福の花]]、13代関ノ戸)から借り受けた。その後、年寄・若藤に名跡変更したが、[[2008年]][[1月24日]]限りで廃業した。
 
==関連項目==