「ゲオルギオス・パパドプロス」の版間の差分

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クーデター後に成立した[[フェドン・キジキス]]の軍事政権も、翌[[1974年]]に[[キプロス]]のクーデターに介入したことを切っ掛けに海軍・空軍が離反して崩壊。その後の民主化の過程でパパドプロスら軍事政権の指導者は起訴され、パパドプロスも反逆罪で[[死刑]]を宣告された。その後終身刑に減刑され、[[恩赦]]も拒否しながら1999年ガンにより獄中で死去した。
 
民主化後のギリシャで彼は独裁の象徴と見なされている。多くのギリシャ人はパパドプロスを近代ギリシャ史における汚点だと考えているが、支持者もおり政党(ΕΠΕΝ EPEN)を結成したが、現在この政党は解散している。またパパドプロスには[[アメリカ中央情報局|CIA]]とのつながりがあったと言われ、事実[[冷戦]]期の米ソの対立の中でギリシャの軍事政権は[[アメリカ]]の支援を受けていた。
 
==参照==