中山 照守(なかやま てるもり、(1570年)~寛永11年(1634年)) は江戸時代の旗本。中山家範の嫡男。高麗八条流馬術の使い手。諱は家守とも。弟に常陸松岡藩主の中山信吉。上田七本槍の一人で、槍奉行3500石の旗本。
父家範とともに北条氏照の家臣となり、天正18年(1590年)の小田原の役後、徳川氏に弟・信吉とともに召抱えられる。慶長14年(1614年)、大阪の役にも参戦。寛永11年(1634年)に死去。享年65。