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'''クン・サ '''(「クンサー」とも。[[中国]]名:張奇夫, [[1934年]] - [[2007年]][[10月26日]])は[[中国国民党]]の[[軍人]]、[[タイ王国|タイ]]・[[ミャンマー]]国境の少数民族[[シャン族]]開放組織[[モン・タイ軍]]の指導者であり、[[黄金の三角地帯]]を作り上げた麻薬王でもあったる。
==経歴==
[[中国]]の[[国共内戦]]で敗北を重ねた[[中国国民党|国民党]]軍は、すべてが[[蒋介石]]総統と共に台湾に逃れたわけではなく、広東省から香港に逃れた部隊や雲南省からタイ北部に逃れた部隊などが存在した。このうちタイ北部に逃れた部隊のひとつ、第27集団軍隷下の「第93軍」は共産中国からの国土奪還のための資金集めとして、民族・国境紛争の絶えなかったタイ北部に定住、少数民族解開放運動を建前に武装を続け、[[アヘン]]栽培で資金集めをしていた(その為に「アヘンアーミー」とも呼ばれた)。その第93軍兵士とシャン族女性の間に生まれたのがクン・サである。
クン・サ本人の経歴は明らかでないが、成人後、国民党残党と袂を分かち、アメリカの支援のもとシャン族・モン族の独立運動を大義名分とする兵力2000のモン・タイ軍(MTA)を結成。この期間に[[麻薬]]ビジネスを大々的に展開し、[[黄金の三角地帯]](ゴールデン・トライアングル)と呼ばれる世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯を形成した。
だがアメリカが麻薬ビジネスの取り締まりに力を入れるようになり、やがてクン・サは国際指名手配される。そのためタイ北部から国境未確定地帯のミャンマー奥地に逃げ込み、「シャン族独立」を掲げてミャンマー軍と永く争っていたが、[[19981996年]]1月、ミャンマー軍事政権国家法秩序回復評議会[[国家平和発展評議会|「SLORC」]]との間で突然停戦合意をして投降。現在は麻薬資金をビジネスに転用して、財閥を作り上げたている。
なお、彼の転向と第93軍指揮官である段希文が死去したこともあり、第93軍の元兵士および家族は、氏のミャンマー政府投降以前の[[1987年]]に武装放棄、タイ国籍を取得している。
2007年10月26日、[[Category:ミャンマー・ヤンゴンにて死去。の人物|くんさ]]
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[[Category: ミャンマー中国の人物 |くんさ]] ▼
== 関連項目 ==
*[[ワ族]]軍
:モン・タイ軍の崩壊後、麻薬の利権を得てミャンマーで最大の勢力となった。
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[[Category:2007年没]]
<!-- [[zh:張奇夫]]
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