「デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス」の版間の差分

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ユリウス・カエサルと[[グナエウス・ポンペイウス]]の対立が深まり、ローマを二分しての内乱が起きると、デキムス・ブルートゥスはカエサルから手持ちの数少ない船団を預けられ、マッシリア(現在の[[マルセイユ]])の攻略を任された。
 
その後[[紀元前48年]]から[[紀元前46年]]の間[[プラエトル]]格副官として[[ガリア]]の統治を行い、[[紀元前44年]]にはカエサルからガリア・キサルピナにおける[[コンスル]]格の[[インペリウム]]を与えられ、また紀元前42年の予定コンスルに指名されていた。しかし、属州ガリア・キサルピナへ出発する前の[[3月15日]]、従兄弟の[[マルクス・ユニウス・ブルートゥス]]と[[ガイウス・カッシウス・ロンギヌス]]が首謀したカエサル暗殺に加担し、[[ポンペイウス劇場]]でのカエサル刺殺にも参加した。
 
カエサルの遺言状ではデキムスは第1位遺産相続人であるオクタウィウス(後の[[アウグストゥス]])が遺産を相続できない場合に遺産を相続する第2位遺産相続人の一人、そしてオクタウィウスが若年の場合の後見人に指名されていた<ref>[[スエトニウス]]『ローマ皇帝伝』「カエサル」83。第1位遺産相続人としては[[アウグストゥス|オクタウィアヌス]]が遺産の4分の3、ルキウス・ピナリウスとクィントゥス・ペディウスがそれぞれ8分の1の相続人として指名された。</ref>。その事実を知ったデキムス・ユニウス・ブルートゥスは、蒼白になって暗殺に加わった事を後悔し、家に閉じこもったと言われる。