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==ヨーロッパ世界の形成==
ヨーロッパ世界の形成は[[ローマ帝国]]の東西分裂に伴い、旧[[西ローマ帝国]]の中では[[ローマ教会]]が、[[東ローマ帝国]]の中では[[東方正教会]]が大きな影響力を有しながら展開していった。地中海世界との比較では、地中海世界が領域としていた[[北アフリカ]]地域が[[イスラム世界]]に組み込まれ、喪失する一方、地中海世界の外であった[[東ヨーロッパ]]、[[北ヨーロッパ]]をその領域に組み込んでいることである。この領域は現在「[[ヨーロッパ]]」と呼んでいる地域とほぼ一致する。
===西ヨーロッパでのキリスト教世界の形成===
[[Image:Notre-Dame-night.jpg|thumb|275px|right|[[パリ]]の[[ノートルダム大聖堂]]。西ヨーロッパによく見られる[[ゴシック建築]]である。]]
''[[東ローマ帝国]]も参照''
 
[[画像:HagiaSophiaelevationS.jpg|left|275px|thumb|[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]。[[ビザンツ建築]]の典型であり、東方正教会を受容した地域に広まった]]
[[東ローマ帝国]]はローマ帝国分裂後も1000年近く命脈を保ったたため、周囲の[[東ヨーロッパ]]、[[バルカン半島]]地域のキリスト教化によるヨーロッパ世界の展開は東ローマ帝国と[[東方正教会]]と移住してきた[[スラヴ人]]との闘争と融和のよって進行されていった。
 
東ローマ帝国は西ローマ帝国の滅亡後、「ローマの後継者」として「[[地中海帝国]]」の復活を目指した。[[ユスティニアヌス]]帝のころ、ローマ帝国の領域をほぼ征服することに成功、地中海帝国の再興にこぎつけた。しかし、神聖ローマ帝国の成立や[[ヴァイキング]]の侵攻、スラヴ人の流入、[[イスラム世界]]の勃興など外部的要因で地中海帝国の維持には失敗し、[[ヘラクレイオス王朝]]の頃には[[ギリシア人]]の帝国として東ローマ帝国は[[バルカン半島]]、[[東ヨーロッパ]]地域の征服およびキリスト教の布教に専念するようになった。
 
一方、バルカン、東ヨーロッパ地域に移住してきたスラヴ人たちは、独自の王国を建設。[[北方十字軍]]等の西ヨーロッパ世界の干渉や東ローマ帝国と激しく戦う一方で、[[東方正教会]]および[[ビザンツ文化]]を受容するようになっていった。
 
==ヨーロッパ世界の展開==
==二つの楕円==
ヨーロッパ世界は二つの[[楕円]]式構造を有している。
===カトリックと東方正教会===
宗教において、カトリック教会と[[東方正教会]]という二つの中心を有しているのがこの世界の特徴である。この直接の発端は[[東西教会の分裂]]に始まるが、遠くは[[ローマ帝国]]の東西分裂に由来する。
 
===教皇と皇帝===
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