「ウィリアム・ベイトソン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
STBot~jawiki (会話 | 投稿記録)
m robot Adding: pt:William Bateson
m →‎来歴: 「ホメオーシス」に「ホメオシス」へのリンク追加。
8行目:
1861年にイングランドの[[ウィットビー]]に生まれる。[[ラグビー校]]から1878年に[[ケンブリッジ大学]][[セント・ジョンズ・カレッジ]]に入学する。大学在籍中に中央アジアのステップ地域を旅行し、環境が生物の形質にどのように影響するのかを調査した。
 
1894年にその調査をもとに"''Materials for the study of variation''"を著し、種の変異の不連続性を主張し、自然淘汰による漸進的な進化を主張するダーウィンの[[自然選択説]]に反対の立場をとった。<ref>ベイトソンの立場はド・フリースの[[突然変異説]]に近い。</ref> また、彼は[[ハチ]]の触角が肢に変化した例や[[イセエビ]]の眼が触角に変化した例などをあげており、体構造の一部が類似の構造に転換するそれらの現象を「[[ホメオシス|ホメオーシス]]」と名づけた。これは1970年代に[[ホメオボックス]]として復活し、分子遺伝学の分野で研究されている。
 
1900年にオランダの[[ユーゴー・ド・フリース]]の論文とメンデルの論文を読んだベイトソンは「メンデルの法則」の重要性を悟り、1902年にメンデルの論文を英語に翻訳し、以後メンデルの法則の強力な弁護者となった。そのため英語圏ではド・フリースをはじめとする三人の再発見者よりも「再発見者」として有名である。